カテゴリー「つぶやき(戯言)」の記事

母校野球部応援記を閉じる・・

2009年7月29日天気は曇り・・

 先ずは、社高校野球部の選手達に「よく頑張った。ご苦労様。」と最終学年の選手達に言ってあげたいです。強豪校がひしめく兵庫の大会でベスト4まで勝ち残りました。また歴史をひとつ積み重ねましたね。

 育英高校は素晴らしいチームでした。さすがに何度も全国制覇を成し遂げている野球部の歴史の重さを感じさせてくれました。投手の物怖じしない堂々とした投球、打者のチャンスに確りと点をもぎ取る打撃など、うーん強いと唸りましたね。

 社高校は、持っている実力は出し切れませんでした。投手が自滅してしまいましたね。ツーアウトから、四球を連発して押し出しの一点、またその塁が埋まったところで3塁打を打たれて4点目が入りました。この一撃で、浮き足立って実力が出せなくなりました。
 小生が期待していた、打たせてとる投球をして欲しかったです。四球は防ぎようがないですからね。打たせていれば、野手の正面に飛んでいた打球があったかもしれませんね。
 まあ、これも育英高校の実力ですね。その見えない重圧に腕が縮んでしまったのでしょうね。

 さて、本夏の母校野球部の応援も6回も楽しませていただきました。すぐに秋の大会がはじまりますね。新チームの皆さんに、暑い夏の練習に耐えて、また強豪校を苦しめる、また超えてゆく実力を養ってくださいと結んで、応援記を閉じましょう。

 

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優しさ考・・「優しさ」対「賢さ」・・付録に「爽やかさ」・・

2009年7月3日天気は曇り後雨。

 梅雨の季節となり、昼間の仕事が夕暮れ時になると雨が降ってきますね。カブでは、雨の日は仕事になりません。塵埃記を進めることにします。
 深夜の仕事中に、イノシシの親子連れを見かけます。子供(6匹ほどいますね)のウリボウ達は可愛いです。仕事の車にデジカメを積んで、画像にできれば塵埃記が更新できると頑張ってみましたが、やっぱり無理な様です。その代わりに、ラジオから流れるNHKの「心の時代」で、年老いた著名人達の人生観を耳にして、色々と考察を楽しみながら、業務をこなしています。

 ラジオからの影響ではないですが、私の孫とその母親を見ていたり、会話を交わしたりで、私は「優しい子に育ててほしい」と言った手前、優しさについて考えることが大変に多くなりましたね。

 我が婆や孫の母親も、「賢い子」を願っているようですね。私は、二人に「賢さは、ランク付けされて競争しなければならない。優しさは、それがない。その人の人格評価の重要要素となる。賢さで、子供を煽るな。」とですね。

 競争(ランク付け)は、「要領がよい」(コネや七光り等)と言う不純なものが付随してくることが多いと思っています。政治家や高級官僚に、それを感じませんか、もちろん優しさや正義感を兼ね備えた人格者も沢山いると思いたいですが、マスコミが悪いのでしょうか、あまり眺めることができませんね。

 賢さの突出した部分が大切にされる教育が横行してますね。試験勉強も努力と要領がよければ、満点を取ることは、誰もが可能ですね。
 スポーツにおいても、理論や理屈は誰もが100点をとれますが、そうでない要素が最重要となりますね。身体技術や精神力ですが、これは純粋な努力と反復が必要となりますね。そこに、「自分ならやれる」と言う、自己に対して励ます優しさが必要となりますね。

 上記のように考えると、人格形成には、対賢さよりも、優しさが優先しなければならないと考察できますね。学校教育で「優しさ」は、どのように教育しているのでしょうね。人に対する優しさや、自己を励ます優しさをどう教育して行くか、考察してほしいと思いますね。この教育が行き届くと、自殺者は出ないと思いますがね。

 また、賢者の反対は、愚者となってますね。優者の反対は、劣者となってます。辞書から、こんな言葉をひらいました。
賢者ひだるし伊達(だて)寒し
(賢者は世俗に妥協しないために飢え、伊達者は薄着をするので寒い。俗人とちがった生き方をするものはつらい目にあうというたとえ。)・・・・・また考察を続けましょう。


 付録に「爽やかさ」をつけたいです。孫にも大人になって、「爽やかな男」にも、なってほしいですからね。私は、先ずは「大きな声での挨拶と、屈託のない笑顔」だと思いますね。私は、どんな職業についても、「優しくて爽やか」な人は、人生の90%は成功者(幸せ者)となれるような気がしています(出世とは別にですよ)。孫にも、そのことを願っていますね。 

 夏模様・・頭上(樹木)、地、水面と大花の季節となりましたね。昨日に仕事中に農家のお庭で、雨でほとんどの花が乱れている中で、1花だけ素晴らしい「タイサンボクの花」を眺めることができました。
 野山では、百合の季節となり、このユリ科達も大花ですね。ササユリ、テッポウユリ、ユウズゲ等々や、農家の庭の園芸の百合の花達と咲き乱れてきましたね。昨日は、野で「ヤブカンゾウ」が沢山咲き出していました。
 水面(池)では、オオガハスの大花、睡蓮も花は大きいですね。もうすぐ、レンコン栽培の「蓮」(まだ咲いていません。旧作品です)やお盆の供花として、溜池に咲き乱れてくれますね。

 季節は巡り、春の小さな花たちがワンサカ咲き乱れたのを楽しみましたが、水田の季節となり畦道や野池周りは、すっかりと刈り取られて綺麗になりましたが、上記の大花達がやってきてくれますね。自然は、じっとしていても確りとやってきてくれます。この「優しさ」が最大かもしれませんね。
 梅雨の雨も、災害にあわれた方達には大変でしょうが、概ねは恵みの雨といえるのではないでしょうかね。まあ、災害は人間達模様の中で起きているようですからね。

そんなこんなで、久しぶりに「戯言」のカテゴリーで、進めることができました。

あっ、パソコンが新しくなりました。色々と楽しんでいますが、ネットの中の色々なものが簡単操作(動画類まで)で眺めることができるようになりました。呑気者も、これでまた視野が大きく広がりそうです。

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若人に苦言・・根っこを知って生きてみては・・

2009年5月22日天気は曇り・・

 商いを廃業して、仕事について1年と3ヶ月になります。ブログのカテゴリーの中のトップにあげている「つぶやき(戯言)」を更新できなかったですね。自然との遊びに集中していますが、実のところは日々、日常を素敵に過ごす為に、地域の活性化や職場の理想やら、今の世を正しい道にすすむ方法などを、愚頭で思考する事が好きなんですね。マスコミや世風に流されているような若人を見ます。根っこの話しで、久しぶりに戯言で、ブログをすすめます。

 私の職場は、新聞販売店ですね。主な業務は深夜の1時からです(アルバイトの配達員がほとんどです)。その中で、入社したり、退社したり流動的ですが、若い人達が社員(専業)として勤務しています。

 私は、アルバイトですので社員の指示にしたがって仕事をしています。その中の社員の諸行の怠慢さに、ついに怒りが爆発して、怒鳴りつけてしまいました。

 私の仕事は、色んな新聞(本誌からスポーツ等々)をコンビニに届けることなんですが、軽四の助手席の前の足場に積み上げて新聞束を積みます(後部荷台は、配達員の新聞束でいっぱいです)。いつもなら、私が丁寧に積むのですが、昨晩は社員が積みこみました。
 その積みこみが乱雑で、新聞の端が折れてしまってました。コンビニで、謝りました。コンビニの店員などとは、親しくしていまして、事無きを得ましたが、帰ってきて社員に怒鳴ってしまいました。その怒鳴ったセリフを記しましょう。

「お前ら、誰に給料を貰っていると思っているんや、会社だと思っているのだろう。本当は、新聞とチラシがお前らの飯の種で、新聞とチラシがお前らの給料を払っているだろ、その一番大切な新聞を粗末に扱いやがって、そんなことで、社員として、アルバイトの皆に示しがつくのかー。もっと愛情を持って新聞やチラシを扱ってやらないといかんやろ。」

 若人達は、勤めている会社の欠点やら、給料の上下やらと不満を持つ事はよく理解できますし、当然の事だと思います。しかし、自分の欠点やら反省点も確り見つめるべきでしょうね。また業務の根っこの部分は、人とのかかわりではないはずですね。その業務こそが、飯の種(給料)となっていますよね。その飯の種を知り、愛情を持って取り組めば、プロフェッショナル(職場の宝)となって行くのだと思いますね。
 色んな職場で、若者達が悩んでいるでしょうね。たとえば医療や介護福祉の世界もですね。飯の種(給料を得る)は、なんでしょうね。患者(老人)と記さなくてもよいですね。仕事の根っこがどこから養分を取るのか、わかればプロの道(人生の歩く道)が見えるでしょうね。

 私は、少年野球や高校野球で、選手達に努力の根っこのことを、コンコンと話して聴かせるタイプの監督でした。「なぜ、毎日、毎日、同じ練習、同じノックをするか、わかりますか。?プレーの理屈がわかっても駄目なんですよ。同じことを繰りかえし練習することで、体に覚えさせて、できるだけ早い動作(スピーディに)が出きる事が大切なんですよ。今は、皆さんはダブルプレーが取れませんが、毎日練習をつづけると、半年後にはダブルプレーを完成出きるようになりますよ。」

 職場でも同じことが言えますね。ベテランは仕事が速いですね。そりゃー毎日同じことを何十年と繰り返してきていますからね。若人と差がでて、当然なんですが、その単調な業務でも、飯の種と思い、愛情をもって取り組むと、単調な業務はすぐにベテランに追いつくと思いますね。そうすると、自信になり、今度は余裕が生まれて、まわりを見れるようになります。野球で言う一番大切な、チーム全体や試合の流れを見渡せるのですね。

なんか、まとまりがつきません。「優しさ」について戯言を述べたいのですが、この新聞やチラシと言う物に対しても優しさや愛情を持つ事が、人生を歩いて行くに大切な資質だと思いますね。
 私の言う資質は、金儲けはできませんよ。ただ、人生をコソコソ歩かないで、堂々と歩いて行ける資質を記して行きたいだけなんですね。
 政治家達も、飯の種は、庶民の税金ですね。庶民に優しく愛情を注ぐことが仕事ではないでしょうかね。
その優しさこそが、慕われて人気となり、票につながって行く、そこが根っこだと思いますがね。

 優しさについては、まだまだ記したいことがいっぱいです。私の大好きなイチローも、心の根っこには優しさがいっぱいの様ですね。この優しさが、胃潰瘍を呼んでしまったのだと思いますね。
 優しさは、逞しさと共存しないといけないと言うことも、また記してみたいと思いますね。

やっぱり、この辺で閉じます。もう少し眠らないと、仕事に差し支えてしまいます。
本日楽しんだ、キキョウソウを貼りつけておきましょう。
「キキョウソウ」をダウンロード
ダンダンギキョウとも言うそうですね。若人もあせらず、ダンダンと仕事の基本を知り、なにが飯の種なのかを知り、そこに愛情をそそぐ優しさを身につけてくださいと結んでおきますね。
人、対人に対する愛情よりも、物(商品や材料等々)や動植物にそそぐ愛情や優しさは、簡単なんですよも、付け足しておきましょう。

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「頑張る」と言う言葉で、ふと思う・・

2009年1月30日天気は雨・・

 本日は、月末なんですが雨模様で、集金業務ができません。久しぶりにブログとじっくり向き合っていましたが、そうだ、春を恋うると言うことでテンプレートの模様替えでもして遊びました。まだまだこれから厳しい寒さが続きますが、小生の心は「いち早く春だ。」と言うことです。

 さて、デジカメ遊びはできていませんが、月末、月初めと忙しくなります。ブログ更新が滞るかもですので、雨の日に「ふと思う」で進め様と思います。

※「頑張る」と言う言葉で・・※
 この言葉は、よく使われますね。しかし使い方によっては、自分を苦しめることにもなるようですね。小生の亡き母が、鬱病が酷くて、医者に相談したり、小生は深夜を通して、眠れない母と向き合って話し合っていましたね(話しを聴いてあげると落ち着きましたね)。
 よく覚えているのが、医者から「頑張れと、絶対に言わないでください。」と教えられたことでしたね。母(本人)にとっては、大変な負担になるそうですね。

 そこで、「頑張る」とは、和英辞典では・・《持ちこたえる》hold on [out]; 《主張する》insist ((on)); 《固守する》stick [hold firm] ((to)).
・頑張れ! Hold out!/ Chin up!・・・とありますね。

 ふと思いますね。もうすぐ選挙が近づいてきますが、政治家達が「頑張りぬきます。」や、皆さんが「頑張ろうコール」と言って叫びますね。この頑張るは、自分の為に頑張ろうですね。小生の頑張ろうとは、チョット違うのですよ。

 小生の頑張ろうは、会社では・・会社の為に(給料はあとからついてくる)、日々の暮らしでは・・地域の為に(ボランティア)、稼ぎでは・・家族や経済活動(居酒屋行き)の為にとなりますね。自分の為には、趣味の時間を見つけ様ですね。
 自分の為に頑張ろうとすると、自分自身が周りとの格差に溺れたり、他人との比較に陥ったりで、ストレスが堪り、あるいは鬱病となるかもしれませんね(亡母がそうでしたね)。

 立派な功績を残した人達の言葉からでも明らかですね。「民衆の為に、難病撲滅の為に、人類発展の為に・・」とある対象に向かって、頑張りぬいた方達が多いですね。自分の為に対しては、少しは体を休めてやろうだったと思いますね。

 芸能界やプロスポーツ界も同じですね。ファンの為に頑張る、チームの為に頑張る人達が名を残しているような気がしてなりませんね。病気を押してでもファンの為に舞台に立ちつづける。ファンやチームの為に、激しい練習に打ちこむ、金銭的なことや自己の名誉は獲得していますからね。
 芸能界や有名企業や巷で、鬱病が蔓延している時代となりましたね。あまりにも自分の為に頑張ろうとするからでしょうね。前に走っているときは、良いですが、停滞や後退した時には、頑張れず自己暗示に陥ってしまうのでしょうね。ある対象に向かって頑張っていれば、自分の為には、少し休めよとなりませんかね。

なんか、わけが判らなくなりましたが、小生の頑張る考ですね。

 まあ、今の政治情勢も選挙が近くなり、自分の為の政治をやっているのじゃないですか。両者の論戦を見ても、結論が曖昧で、亡き母と話していた時と同じですね。政治そのもの全体が、鬱病となっているのじゃないでしょうか(笑)。

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一旦停止違反・罰金7000円・・(あほらしの鐘が鳴る)

2009年1月28日天気は晴れ。

 この25日に30数年ぶりぐらいに交通違反をしました。残り集金(新聞代)と言うことで、お出会いできない方達(何度か訪問してもお留守)の所へ参ろうと会社の軽四輪で出かけました。急ぐわけでもありませんから、のんびりと走らせていました。田舎の道路のことは、総てわかっているつもりでした。

 ところが、ある信号待ちで、警察官が我が車の窓を叩きます。後ろのパトカーの若い警察官でしたね。「なんですかー」と尋ねると、「車を信号横のガソリンスタンドに入れろ」と言いますね。ハイハイと入れますと、「あなたは、一旦停止違反です。パトカーのあとについて来い」でしたね。大変混雑している信号の所ですので、方向転換するのが大変でしたが、ついて行きました。
 なんと、信号は三つ、距離にして1km半ほどの所まで戻されました(その間、ズート付いて来ていたのですね)。
 違反場所で、若い警察官が、「この場所で、あなたは一旦停止違反をしました。」でした。小生は、のろのろ走ってましたので、「気付かなかった、あなた達はどこで、違反を見ていたの?」と尋ねました。なんと陸橋の影に隠れてみていたのだそうです。
 その時、アッ、ここは一旦停止の「鼠取り」の常習場所だと気付いた次第です。誰もが停止せずに走りぬける方が安全な場所に、一旦停止の標識が頭上高くに設置されていましたね。警察官に指をさされて、「見ろ」と言われましたよ。見ましたが、高いですね。軽四じゃー近くに来ると見えませんね。また道路の「止まれ」の白文字は、昨晩まかれた凍結防止剤の汚れで見えにくくなっていましたね。わちゃー、詐欺のような取締りだなーと感じましたよ(笑)。

 その後は、パトカーの中に入り、何やら法律的なことを並べられて、言われるがままにサインと左手人差し指で、違反切符にハンを押しましたね(集金途中で、チョット時間が気になりましたからね)。簡単に終わりましたね。
 「お手数を煩わしました・・」とパトカーから降りて、立ち去りました。

「一旦停止違反の罰金切符」をダウンロード
 この用紙2枚を頂きました。うーん、大昔から変り映えのしない違反切符だなー(30年前と同じかもですよ)と手にして眺めましたね。「期日までに納金しないと、検察からなんとか」と言ってましたね。「ハイハイ」と応えて立ち去りました。

 「あほらしの鐘が鳴る」・・その後、集金を続けましたが、なにか心が曇って、晴れませんね。7000円の罰金の領収書を持っているからでしょうね。まあ、軽四輪で走りまわっているから、事故を起す前の警告だなーと良い方に解釈して仕事を済ませました。

 このことを、塵埃記に記そうとした時に、ふと思いました。若い警察官達との別れぎわに、言い残してやりたかった言葉が浮かびました。未練言葉を落としておきましょう。

●「ねずみ取り」と言う方法で違反を摘発するのは、警察の常道で我慢できますが、1km半もあとをつけて、またもとの違反場所に戻る行為は辞めた方が良いです。その間に事故が起こったら、どうしますか。
 もっと、取り締まりに時間をかけなければいけない事案が沢山あるのじゃないですか・・
 それから貴方達(警察官)は、半年に一度は「役払い」のお払いをした方が良いでしょう。人の恨みが積み重なっていますので、身の回りで問題が起きてきますよ。それを免れるのは、五度に一度は大目に見て許してあげなさい。●

 7000円の罰金のお陰で、戯言が産まれました。ブログに落として気晴らしですが、隠れて違反を捕まえる「鼠取」の警察の仕事は、小生が車を乗り出してから今まで、数十年と同じことを繰り返しています。違反切符まで同じ様ですね。
 このことは、未来の人達が、風俗學として膨大な数のブログを整理した時に、あの時代の警察は、「隠れて取り締まる行為を、半世紀ほど繰り返していたのだなー」(未来へと続くのでしょうか・・)と、些細な資料になれば幸いと、塵埃記に落としました(笑)。

※あほらし・・・京言葉の・「ばからしい」・です。

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すこぶる明るく元気に呑気です・・・

明けましておめでとうございます・・・(苦笑)

 もう、新しい年も2週間目に入ろうとしていますが、やっとキーボードを叩いています。
あと、10分もすると深夜の勤務に、歩いて1分の会社に出発ですね。

 20日間ぐらいネットに入ることができませんでしたから、永いお付き合いのお友達から、「体調を崩されているのではと、按じています。」の掲示板を見まして、大変元気に過ごしていることをお知らせしておこうと思いました。

 年末からいっきに仕事の量が増えました。新聞屋の正月(三が日)の業務の大変さも経験しました。これは、確りと睡眠をとらなくちゃーと言うことで無事に乗りきりました。次に訪れたのが、仕事の上に町のお付き合いですね。毎年恒例の戎祭りで、「うどん屋」を準備から、2日間頑張りました。これもネットの時間は、吹っ飛びましたね。
 やっと本日の町内の初談会のお昼の宴会で持って(終わってから、今まで寝てました。)、押し寄せてきた仕事と行事が恙無く過ぎ去った様です。

 この間は、若い者達に負けるものかと、明るく元気にテキパキとこなしきりました。まだまだこれから、深夜の仕事は寒さが厳しくなり、雪や凍結とのお付き合いとなります。これも確りと睡眠をとっておかねばなりませんね。

 でも、皆さんご安心くださいね。すこぶる元気に過ごしています。ボチボチにネットに入って行こうと思います。
皆様の素敵なページにお伺いして、新年のご挨拶のお礼に伺いたいと思います。

 呑気なおやじだからなーと、ご容赦頂き・・・・・
「もう暫くお待ちくださいね!」

 1月13日追加です。小雪が舞ったりしまして寒いですが、冬晴れと言う快晴でした。集金に田舎道を走りました。
そこで、本年の小生の初花画像を作りました。

「農道横に咲く水仙」をダウンロード
 昨年末から咲いてますが、小生の本年の一番花となりましたね。ヒガンバナの葉と同じように農道や畦道にこんな感じの塊ですがありますね。花がついて水仙だとわかるような感じですね。

「菜の花畑」をダウンロード
もう、菜の花が咲き乱れてますが、まだまだこれから凄いことになりますよ。でも、梅に菜の花と春一番の花と言えますね。
 

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自然も好きですが、庶民が大好き・・

2008年11月7日天気は雨。

雨の一日となりました。のんびりネットを楽しもうと思いましたが、仕事のことで思いが巡り「戯言」を落としたくなりました。

 新聞代の集金をはじめて、半年になろうとしています。
もうまわっているお家や、集金を頂く方達(田舎は、お婆ーちゃんが多いです)の顔が頭に浮かびながらの仕事となりましたね。
「ご苦労様です。」と言われるのが、10人の内に9人までが言っていただくありがたい仕事だなーと感じています。

 その上に、蕎麦畑やコスモス畑や素敵なお家のお庭の花達などを楽しんで、チョット時間的に余裕があれば林道を楽しんで仕事が出きるのですからね。手当ては大変に安いです(笑)。
 でも、考え様なんですね。仕事時間は小生の自由ですし、遊びながら(日々の散歩のついでに集金と)楽しむようにしています。
 冬に入ってきましたから、自然との遊びはダンダンと出来なくなりましたが、庶民とのお話(3、4分ですが)を楽しもうと思いますね。

 老人ホームも集金に参りますが、各部屋の老人達とは仲良く会話しています。ですが、若い支配人でしょうかね。ストレスが堪っているのでしょうかね。怒りっぽいですね(集金人を見下げていますね)。

 新興住宅やマンション、アパート系の若い方達のところも集金に参りますが、心の貧しい方達を、ちょくちょく見かけますね。不景気の反映でしょうかね。払いたくない気持ちを感じますね。自分達が購読している新聞の集金ですからね。もっと心を豊かにして欲しいですね。コミュニケーションが嫌ならば、自動振替えにすればよいですね。人を見下げる気持ちも感じますね。

 そんなこんなですが、庶民の気持ちを見ながらの仕事ですね。色々ありますが、小生は楽しもうと思いますね。玄関先を先ず見ますね。それから玄関に入りますね。庶民生活そのものを眺めるわけですね。靴等が揃っているかですね。子供達がいるお家は先ず無理ですね。ですが、揃っているお家もあるのですよ。素敵にお花を飾ったり、庭が綺麗なお家は、心が豊かな感じを受けますね。

 田舎のお婆ーちゃん達の話しも、目新しい話題はないのですが、庶民が腰を据えて暮らしてきたお話が多いです。同じと言えば同じなのですが個々の違いを見つけようとしますと、生きてきた住まいの様子やお話は新鮮ですね。

 集金の中で独居老人の方達も10数名ほどですが、いらっしゃいます。その方達が、「この前に、息子や娘が帰ってきてくれた。」と言う風なお話が多いですね。寂しいのでしょうね。庶民の老後は「寂しさ」の中で暮らしているかもしれませんね。小生はまだ、じっくりと聴いてあげるほどの集金人のプロにはなっていないと思ってますが、出きるだけ聴いてあげようとは思いますね。

 ふと思ったのですが、一番庶民の話しの聴ける業務についたと思っています。面白い話しが堪ってきています。塵埃記のカテゴリーに加えたくなりましたね。まあ、一年ほど経験すれば、思い出しながら、庶民の面白い話題でブログ更新が出来そうな気がしてきています。

 小室哲哉、ライブドアーの堀江等々と・・どんな放蕩三昧をやってきたのかは、テレビを見ていれば知ることが出来ますね(まあ、想像がつきますね)。
 生真面目で正直者の庶民の人生の刹那さや面白さは、個々の格別なところにあると、若い頃から思ってきました(学生時代にアルバイトで、出稼ぎの人達と飲み明かした経験からですね)。そんな労働者や庶民の心情や世界は、落語、漫才、演歌、フォーク、小説、テレビドラマ等々と一番に大衆に受け入れられて、ヒットしてきましたね。

 小さな庶民の人生ですが、自然と同じで風雨にさらされて歩いてこられたのでしょうね。
小生は、少しづつですが、感じ始めています。人生の晩年、特に終末こそ幸せであれば、総てが円満解決するのじゃないだろうかと・・ですね。
 それまでは、人生は苦楽の大河ドラマなんだろうなー・・とですね。小さな庶民のドラマは素敵だと思いますね(野草花のように)。
 やりたい放題の行動をとって、その尻拭いもできない連中が、自由を履き違えて謳歌している時代を感じますね。小生から見ると裕福そうに見えますが、お尻の周りは糞だらけで臭い連中に見えますね(笑)。

「糞をたれ続け、尻を拭きながらの人生ですが、最後も尻を拭いてこそ、幸せな人生になる」(駄)・・その最後の尻を拭いてあげるのが、家族であるとの思いが集金をしていて、また強くなりましたね。

 これから時代が進んで、集金と言う世界での庶民のコミュニケーションも無くなって行くでしょう。小生は最後の姿を見届けてやろうかなーとも思っています。また、対面コミュニケーションの新しい形の模索もしてみたいですね。

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休日と言うのをしみじみと味わっています・・

2008年9月15日天気は雨。

 この歳になって、深夜の仕事について8ヶ月が過ぎ様としています。新聞屋の業務で他の仕事との一番の違いは、休刊日以外は休日がないと言うことですね。小生は、もちろん無遅刻、無欠勤ですね。老いたベテラン達も同じく、ほとんど休まれることはないですね。それぞれが個別の担当区域を持っていますから、確りお届けしないとの気持ちが強いと休めないことになりますね。年に祭日振替えのようにして、10日ほど休刊日はありますね。

 と言うことで、明日が休刊日と言うことは、本日の昼から夜にかけてが一番の休日と言うことになります。
小生は、午後2時ごろに起きまして、シトシトと雨が降っている空を眺めて、パソコンに前に座りました。「ああっ、休日なんだー」と、こんなにのんびりとした気持ちを味わう休日は、初めてのような気がします(今までの、休刊日はまだ気を張っていたような気がします。)
 さっそく友人達から電話があり、夕方から「呑もかー、どこで呑も・・」と言う話しになりましたね。そんなこんなで、お友達の皆さんへ、最近の身近な自然をお届けして楽しもう(ほんとは一番の楽しみなんですが)と思いましたが、たった今(ブログ更新中に)、「おいっ、もうお前の近くの居酒屋に来とるさかいに、早よ来いやー。」と電話がありましたね。

 小生の近況報告では、面白くないので、身近な自然の緊急報告をしておきますね。スーパーカブ君のお陰で、我が地の身近な自然を再発見できています。他愛のない小生の楽しみですが、皆さんにも気楽に味わっていただきたいです。

「カラスウリの実」をダウンロード
 カラスウリの実ですが、可愛く連なっていますね。よく見ると色が順次変って行く様子も見ることができますね。真っ赤なカラスウリの実なんですが、ウリのような縞模様の緑から黄色をへて真っ赤になっていくのですね。
 小生のブログでは、よく登場しています「カラスウリの花」ですが、まだ2ヶ月ほどしか経っていませんが、もう夏の思い出となってしまいましたね。日々の流れの早さを感じますね。

 では、オマケに小生が大好きな色の花も咲き出しています。
「サワギキョウ」をダウンロード
 まだ咲きだしです。満開になると我が母校のスクールカラーとなりますね。

 そんなこんなで、カラスウリの実の緊急報告を終わります。友人から、「どんどん仲間が揃っている。お前が早く来ないとはじまらん、出て来い。」とまた電話がありました。のんびり休日にならないかもですね(笑)。

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夏の深夜の愚思考(イデオロギー嫌い)

2008年8月13日天気は快晴。

 深夜を軽4輪で田舎道を走りまわっていますが、その仕事の終わりごろ(午前4時)に楽しみが出来ましたね。ラジオ(NHK第一)の「心の時代」と言う題で、色んな人達(高齢者が多い)のお話を聞かせてもらっています。
 呑気な心が揺さぶられることがちょくちょくありますね。その人達のお話から影響を受けて、こぼれる戯言を塵埃記に落として、ブログを進めますね。

 先ずは、北京オリンピックですが、中華的と言うか豪華絢爛な開会式でしたね。庶民派のイデオロギー嫌いの小生は、中国の一党独裁(官僚達の世界)の国家権力の凄まじさを感じましたね。もう、今後この様な開会式は、北京オリンピックで終わるような気がします。この開会式を越えれないと思いました。
 また、中国で大地震がありましたね。沢山の人達が犠牲になり、今も復興に手がつかない状態で苦しんでいる庶民が沢山いますね。オリンピックの開会式費用を半分にしていれば、庶民はだいぶ救われたのになーと愚思考が走りましたね(貧乏人の思考)。国家イデオロギーが邪魔をするのかなーですね。
 この北京オリンピックで中国と言う国が、薄ぼんやりとした状態で見えていましたが、どんどんと見えてきましたね。私達にとっては、良いにつけ悪しきつけ、北京オリンピック最大の魅力となるかもしれないですね。

 小生は、どんな開会式も各国のNO1選手達の入場行進の素晴らしさには、勝てないと思います。友好と平和の使者として、北京に集った精鋭達ですからね。お国柄がでていて、世界の広さと人間の素敵さを垣間見る事が出来ますね。まあ、各民族代表の美しいアスリート達ですからね。

 友好と平和の使者の選手達ですが、我がマスコミは「メダル、メダル」と選手達を煽り過ぎだと思いますね。彼らは、コネや騙しでオリンピックに選ばれたわけではないですからね。我が国内NO1に、大変な努力でなった選手達ですね。他の国の選手達も同じですね。競技そのものも、「参加することに意義がある」時代から、紙一重の闘い(オリンピック出場の標準記録を越えないといけないし、プロやプロまがいが参加してますね)になってきていることも事実ですね。競技を終えると、「お疲れ様、ご苦労様でした。あなたの素敵なパフォーマンスを楽しませてもらいました。」の言葉が良いかもですね。

 話は飛びますよ(笑)。今朝の「心の時代」のお話が素敵でした。もうすぐ終戦記念日ですが、ニューギニア戦線(生きては帰れないと覚悟して)からの生き残りで、93歳になられた川村さんという方の「地獄を見た」と言う経験のお話でしたね。
 この方は、ニューギニア戦線での兵士達のありのままをお話になっていました。小生が感銘を受けたのは、「戦争体験を話したくなかった。とても話せなかった。ただ、まったく記録が残っていないことと、当事の我が国のイデオロギーや、戦争をイデオロギーで考察せずに、兵士が味わったありのままを聞いてくださるのならと、お話することにしました。」でしたね。
 その地獄のお話も、優しい口調で、淡々としていていましたが、重みがありましたね。次々と悲惨な状態で亡くなって行く兵士のお話もありましたが、その中でも、兵士達は生き様としていたことを話されてましたね。爆撃が毎夜やってきたが、海辺に落とされると魚が浮いたそうです。それを集めて浜辺で焼いて食った。最高の味だったですねーや雑草を靴磨きの油で焼いて食った。これも美味しかった等々でした。
 食うために、浜辺での悲惨な出来事もお話されました。サヨリの群れがやってくるそうです。手投げ弾で捕獲するのですが、サヨリの動きが速くて、手投げ弾を身近に投げて亡くなった戦友もいたそうです。なんとか生き延びる話が多かったですね。

 小生は、映画や記述(当事のイデオロギーを感じさす)からのニューギニア戦線模様(人をも食ったという醜さ)を少し知っていますが、一兵士の心が見た地獄の、ありのままのお話の奥深さを感じましたね。

 最後の方に、神や仏の救いについて話されたのが、小生の心に突き刺さりましたね。
「最前線の戦争は、人間の本性がでる。戦闘寸前になると、普段は、威張り散らして強そうな上官がバタバタ慌てる。おとなしくて、優しい奴が落ちついている事が多かった。
 そんな若者達が、どんどん亡くなって行く地獄を見て、神や仏の救いはこの世にはないと思った。戦後もズート、神や仏を信じなかった。ある時に、宮本武蔵の本を読んで、神や仏に救いを求めては行けない。敬う心を持てば良いと気付いた。以後、皆様と同じように神仏を敬っていますよ。」・・・面白いお話では、「私の食事は、いい加減ですよ。食えれば良いで、ほとんど賞味期限切れですよ。今も、一日一食ですね。大丈夫、93まで生きてますよ。」

 司会者の「現在の日本の国に、一言ありますか?」の質問には、「恥を知れ!と言いたい。このままだと日本の国は腐ってしまうだろう。国を想って、闘い亡くなって行った戦友に申し訳ない気持ちでいっぱいです。」でしたね。

 数日前に、歴史を研究しているお婆ちゃんのお話も、面白かったですね。神や仏の問題に少し近い話で、権威と権力の話でした。日本の歴史は権威(天皇、皇族)が大きく影響した歴史である。時の権力者も権威を軽んじることがなかったと言うお話でした。
 小生は、中国の権威は、アメリカの権威は、ヨーロッパや中東の権威はと愚思考しました。神が権威なら、権力者達による横暴での戦争が続いていることに、終止符はあるのかと愚思考しましたね。神様は玉音放送できないからなー・・・

 長くなります。権威と権力は、次の機会に愚思考の続きを記してみたいですね。

「スベリヒユ」をダウンロード
オマケの画像は、午前中に花が咲いてますね。スベリヒユですね。なぜこの花かとは理由がありません。小生の戯言が、「滑り比喩」(すべりひゆ)になったなーと思いました(笑)。

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良心に問いかけながら生きる清々しさ・・

2008年8月1日天気は快晴。

さて、塵埃記を進めます。もう本年も8月に入りましたね。6月末から月末、月はじめにかけて集金業務を、夕暮れの一時間半ほど田舎風情を楽しみながら散歩がてらにこなしています。また留守番のお婆ちゃん達と月1回のお出会いを繰り返していますが、本日は1日ですから、早々の集金は控えないとで、お休みでのんびりとネット遊びをし様と思います。そこで、戯言を落として気晴らしします。

 深夜に、たった一人で時間に追われて、軽四輪をぶっ飛ばしていますが、最近の諸々の醜いニュースことを考えながら走っている事が多いですね。特に通り魔の多さ、子供達の手本、指導者にならなければいけない教育者達の汚職事件のことですね。「いつの時代にも、人間の世にはあるものよ。」と言ってしまえば簡単ですが、言葉を裏返せば、「そうならば、人の心はまったく進歩していないじゃないか、むしろ豊かさの中で心が後退、汚れて行っているのか、」と小生は考えてしまいますね。そこで、正義感と良心について、小生の拙い思い記そうと思います。

 正義感は、小生の子供頃の映画といえば時代劇でしたね。勧善懲悪の世界の中で、正義の使者達の活躍を描いてましたね。子供心にその勇気と爽やかさに憧れて、正義感は膨れ上がって行ったと思います。小生は、汚れた世を嫌って、さすらいの旅にでた正義感いっぱいの男が、また次の街で悪と戦う旅人に憧れましたね。長くなるから正義感はこれぐらいにして、良心に入りたいです。

 良心は、どの様にして育っていったのだろうと思います。これは親達だけではなく、色んな人との出会いで育ってきた様に思いますね。学校の先生や野球部の先輩や指導者、会社の上司、身近な所では友人の中にも居たように思いますね。小さい頃は、ご近所の爺さん、婆さんからも影響を受けただろうと思いますね。

 自分の過去の良心を振りかえりますに、人間の心は弱いものだと思いますね。青年期に、豊かさに向かう競争社会の中での、自分の自信や傲慢からや、恋心や性欲に負けて、他の人達の心を傷つけてきた事を振りかえってしまいますね。
 しかし、その度に「あっ、悪いことをしたなー、人を裏切り、悲しませてしまった。」と自分の良心に問いかけて、「もうこれからは、しないから、我が良心よ許しくれ」と、少しづつ成長させてきたような気がします。

 なぜ良心を出してきたかと申しますと、通り魔達の逮捕後の言葉に「被害者に申し訳ない事をしました。」や、教育汚職者達も、「子供達に悪いことをした、とり返しのつかない事をしてしまった。」と良心が目覚めた言葉を落としていますね。食品偽装事件もまったく同じですね。
 と言う事は、事件を起す前に良心に問いかけていれば、簡単に防げたと思いませんか。またその自己の良心を大きく強いものにしていれば、諸悪の問題は防げる様に思いますね。

 なんかまた、小生の戯言はまとまりがつかないですが、これからの人類の進歩は、良心の進歩が一緒について行かないと、進歩を続ける科学技術や垂れ流し的な情報世界や、特に兵器なども制御できなくなりますね。制御できない状態が、事件となってニュースとなりますね。大きく強い良心があれば大丈夫ですね。

 では、大きく強い良心を育てる教育ですが、上記に記したように親、ご近所、先生、先輩、上司等々との良心を持ち合わせた人々との出会いで育って行くと思います。子供の頃は、家庭と学校が大半ですね。他人との出会いでは、学校での良心を育てる教育に時間をかけて欲しいですね。先ずは、先生達の強い良心を期待します。

 出会いやお付き合いが出来ない人達が出てきていますが、小生は大変簡単な方法で出来ると思っていますよ。「おはようございます。」と大きな声で挨拶が出来れば、簡単に解消しますね。この挨拶だけでも、良心は育って行くような気もしています。家庭の中でも、出来れば素晴らしいことだと思いますね。

「お昼寝している孫」をダウンロード

 正義感や良心が飛び交う世になる様に、これからも時々「正義感」と「良心」との言葉で、諸々の醜いニュースを塵埃記で対決させてみたいです。

 小生だけかもしれませんが、良心に反した行動をとると大変にストレスがたまりますね。逆に良心に応えた行動をとったときは、大変に清々しくなります。良心に応え続ける貧乏暮らし・・ある意味で「正義のさすらい旅人」ですね。子供の頃からの目指す所に来ましたね(笑)。

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ふと想う・私が生きてきた60年・・

2008年5月13日天気は雨

 午後からシトシト雨になりましたが、少しだけ近くの雑木林あたりを歩きました。樹木の花達が咲いているのを眺めました。

 さて、塵埃記を進めなくてはなんですが、昨晩のNHKの放送から、暴力団による密漁で小さな漁村全体が滅んで行くと言う特集を見ました。小生は野の花達に遊んでもらっていますが、そこにも金目当ての盗掘が横行していて、昔からの野花達が滅んで行く様子を知ることとなりましたね。

 満開のエゴノキの下で、「私が生きてきた60年間の世界は、地球の歴史上で、どんな評価を、未来の人達がつけるのだろうかなー」と、ふと想いました。
 近代化の波がどんどん押し寄せまして、過ごし安い素晴らしい電化の世界になり、エネルギーを無作為に使い尽くし、ありとあらゆる物が溢れている世界となりましたね。
 さて、この代償になにを失って行った60年間だったのでしょうね。もう温暖化等々の自然崩壊の危機を言葉に出す必要もないですね。
 昨今の猟奇的な犯罪等や家族の崩壊等々のニュースを見ても、人の心の中までも、なにかを失って行っている時代を感じますね。

 小生は思いますね。たかだか50年間ほどの、私が生きてきた時代にですね。今、孫のお守をしながら、未来を歩く赤子を見ていますが、息子の時には、「花の都で活躍」と少し大きな夢を抱きましたが、孫は「田舎暮らしで、自然の豊かな中で、明るく、伸び伸びと、ささやかな人生を歩んで欲しい」と願うのは、小生達が作り上げてきた世界は、良い評価で無いと感じてしまっているのでしょうね。
 もう進んで行く新しい知識を得ることも、都にでなくても、素朴な田舎で充分に取得できますからね。

「満開のエゴノキの下で・・」をダウンロード
 此花の下で想いました。素晴らしい花見なんですが、なぜか樹木の名前から、エゴ(エゴイスト)を連想してしまいました。
 エゴイスト・・『自己中心主義者』(…要はわがまま、独り善がり)等々とありますね。自由主義が行き渡り、個人が大切になりましたが、どこか間違った方向に向かっている気がしますね。庶民の中の犯罪も個人のエゴが見え、地球上の様々な問題も、民族や国同士のエゴが戦争や貧困の格差を大きくしていて、混乱している様にも感じてしまいます。

「ニセアカシア」をダウンロード
 この樹木の花も満開で咲き乱れています。素晴らしい眺めで、素敵なお花ですね。でも可哀想に「偽」と言う名前を貰っていますね。花に罪はないですね。

 私は思いますね。これからの未来人達は、小生達が生きてきた時代の本質を見極めて、偽物を排除して行くことだと思いますね。なにが本物で、なにが大切で、豊かに暮らす本質はなにか、なにが平和を生み出すのかと言う勉強を、子供の時代から思考する人達になって欲しいと思いますね。私が生きてきた60年間で、「金や物だけでは、豊かに暮らせない世界がやってきた。」と悟りかけていますね(こう感じている人達が、増えていることも感じてますよ)。

 雨の影響でしょうか、久しぶりに愚痴り戯言で塵埃記を進めてしまいました。孫が呼んでいます。お守役に戻りましょう。

 5月14日・・追記です。ミャンマーの台風、中国内陸部の大地震と、何万人と言う尊い命が奪われて行く光景をテレビのモニターから眺めている時代に生きてますね。どうにかならないかの思いも、金で済まそう、またそれしかないとの思いで、人類の時代になって何千年ですが、なんと脆い世界に生きているのだろうと感じますね。

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居酒屋通いは辞められない・・

2008年3月6日天気は晴れ。

 塵埃記を進めようと思いますが、少しですがお酒が入っています。「時間は午後の5時40分です。商いをやっている時は、午後7時くらいから飲み始めていましたが、新しい仕事のサイクルとしては4時ぐらいとなりますね。出勤が午前1時ですからね。また新しい仕事の面白いお話や人間模様は、戯言として塵埃記にポトリポトリと落としましょう。

 だいぶ仕事のサイクルに慣れまして、この時間に居酒屋で楽しむと、帰ってきて2時間から3時間は眠ることができますね。また出勤まで8時間ほどありますね。それから元気に出かければ良いですね。

 居酒屋はやっぱり楽しいです。この時間でも仲間はいますね。仲間達は、毎日の稼ぎで生活をして行くのが精一杯の話で盛り上がりますね。小生の新しい仕事には、皆さん大変に驚かれますね。でも商いをしていた時よりも、もっと親近感を持って接してくれているような感じを受けますね。労働の辛さや賃金の安さが主力の話題になりますが、逃れられない人生模様がこぼれていますね。
 最後には「ぐたぐた言っても、食うためじゃ。呑気はんも、頑張りやー。」と仲間達が励ましてくれますね。底辺と言う言葉を使うと悪いのですが、皆さん心が清んでいるのですね。見栄や傲慢がないのですよ。あるのは明日の心配だけですね。真面目で正しく、肉体を奉仕して生きている人達は、大半が同じだと思いますね。

 小生は思いますね。この底辺の人達がいるからこそ社会が成り立つのであって、頭を使うリーダーばかりだと世は滅びますね。「庶民よ。元気に生きて行こう。」ですね。小さな幸せはある意味で、こんなところに見出せるかもですね。

「我が家の裏からの2008年3月6日の夕日」をダウンロード
 居酒屋から帰ってくる時に、綺麗な夕日を見ました。でもいつもの時間ならこんな状態は見れませんね。太陽の姿で○に見えることはないですが、こんな○状態で浮かんでました。あらら、黄砂が原因かもしれないと画像にしました。
 夕焼けを追う時間には、炬燵の中で眠っていることが多いです。でも慣れれば、裏の洗濯干場から楽しめると思いますね。

「2008年3月5日の孫」をダウンロード
 深夜の仕事をしている小生は昼間は寝ているか、炬燵でゴロゴロテレビを見ているかですね。そこで息子達夫婦が守をしている初孫なんですが、なにかの用事ができて孫を見れない時には、爺ちゃんが昼間は居ると孫をあずけに来ます。あらら、新しい仕事は孫の守が出きるのかーと喜んでいますが、こりゃー疲れてしまうかもしれませんね。もうハイハイで素早く動き回って目を離すことができませんね。

 そんなこんなで、こんな人生模様になるとは、つい三ヶ月前までは思ってもいませんでした。「人生と言うのは先の見えない面白いものだとつくづく感じる今日この頃です。」と落として、つぶやいておきましょう。

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田舎のオヤジの想い出の映画・・

2008年1月12日天気は雨。

 田舎のえびす祭りも無事終わりました。塵埃記を更新しなくてはなんですが、これと言った変ったことがありませんね。祭りのあとも天気が悪く、自然とも遊べなくて画像もできていません。そこでネットのお友達のページを楽しんでいましたら、懐かしい映画の話題が出てきまして、楽しみました。
 そこで、小生の映画の想い出を、頭の中を探りながら塵埃記を進め様と思います。

 お友達のページに「喜びも悲しみも幾年月」・「二十四の瞳」・「無法松の一生(三船敏郎)」と高峰秀子が演じる映画が飛び出してきました。この作品群は、小生の亡き父がやっていた映画館で子供時代になんども見ましたね。この三作品は、小生の子供心(11歳ぐらい)に感性や生き方に大変影響を与えたものでしたね。
 そこでお友達に、小生が当事に影響を受けた洋画としてアラン・ラッドの「シェーン」をお知らせしました。まだ字幕も読めない頃でしたが、内容は確りわかるストーリーでした。男は、こうあるべきだとインプットされた様に思い出します。
 その後に、日本映画で高倉健主演で「遥かなる山の呼び声」を若い頃に見ました。あらら、「シェーン」のストーリーそっくりだなーと思いましたが、この映画も感動しましたね。高倉健には「男とは」と感じて映画を見てしまっていますね。高倉健で思い出しましたが「駅/STATION」も素敵でしたね。八代亜紀の代表曲「舟唄」が流れて、哀愁と言う世界を教えてもらった様に頭に浮かんできましたね。彼の作品は、孤独な男、哀愁を漂わせる男を演じると言うより、彼そのものがその男みたいで大好きですね。 「居酒屋兆次 」も庶民を感じさせ素敵でしたね。

 その後、またお友達のページから「ショーシャンクの空に」の記述を見ました。素晴らしい名作ですね。老優のモーガン・フリーマンがお気に入りになったようで、小生は彼の映画なら「セブン」ですねと、コメントしました。
 この「ショーシャンクの空に」も大きく話題にならなかったですが、後年にじわじわと評価されましたね。映画好きの人達の間でもトップランクに押されていますね。

 そこで、余り話題に上らなかったのですが、小生の心に深く残った作品をコメントしました。大作やヒット作は、「タイタニック」を筆頭にあまたありますからね。

 先ずは「天国の門」ですね。映画会社を赤字で倒産させた作品ですね。アメリカの歴史の恥部を取り上げた映画でした。賛否両論ありますが、小生はスケールの大きさや映像美に引かれましたが、貧困に対する生死をかけた人間の生き様を見せていただきました(現在でも、地球上で同じような問題で争ってますね)。またアメリカの持つパワーはこのあたりの命がけの開拓魂ではと思いましたね。
 次には、「キリング・フィールド」ですが、この作品はカンボジアのポルポトの悲劇を確りと写し出した作品だと心に残りましたね。悲惨さの中の友情も深く感じさせて頭に浮かびました。ラストにジョン・レノンの「イマジン」が流れた時は目に涙が浮かびましたね。
 面白いのは「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」でしたね。アル・パチーノの演説シーンも感動しましたが、ハッピーエンドで終わる映画の中では、少し違う爽やかさが心に残りましたね。

 まだまだ映画好きです(最近はテレビからです)から出てきそうです。どんどんと頭に浮かんできます。書ききれなくなりますね。そこで古いですが、この書き込みをしながら浮かんできた一押し映画を記して、戯言を閉じ様と思います。

 小生は、映像美を楽しむタイプです。それも厳しい大自然の美や報われない時代に立ち向かう人間達の生き様を描いたような作品に引かれる様ですね。
「ダンス・ウイズ・ウルブス」ですね。これは大ヒットしましたね。先住民の悲哀の中に、自然美や人間の中に内在する優しさに、心が揺れましたね。
 日本映画では、「砂の器」ですね。松本清張の作品ですがストーリー性よりも、映像美と音楽と俳優の演技の素晴らしさを感じさせて頂き、日本映画の傑作と思います。犯罪検挙率が世界一だった古き良き日本の頑固刑事も懐かしい感じで浮かんできました。
 1/13追記、記事を読み直していて頭に浮かんできて、どうしてもつけ足したい小作品があります。三島由紀夫の小説で、市川雷蔵が演じた「剣」ですね。まだ多感な頃で、訳もわからなく心に衝撃が走ったことを思い出しました(時代劇ではないです)。

 では、最近見た映画では「博士の愛した数式」ですね。全編に「ほのぼのと」したものを見ましたね。チョット変ったところでは、漫才師のナインティナインが演じた「岸和田少年愚連隊」ですね。これは小生の中学時代を思い出させてくれましたね。

そんなこんなで、色々と映画を記しました。皆さんはネット検索がありますね。いながらにして「どんな映画かなー」はわかりますね。興味が沸きましたら検索してみてください。そして面白そうなら、レンタルして楽しんでくださいね。

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また聖夜がやってきた・・

2007年12月24日天気は晴れ。

 また聖夜がやってきましたね。都会に暮らしているネットのお友達から、素晴らしい大都会のイルミネーション画像と共に「メリークリスマス」と祝福を頂きますね。「今年一年も、何事もなく、なんとか乗り切り、聖夜を皆で明るく楽しみましょう。」と聞えてくる様で、嬉しいですね。皆さん、楽しい聖夜にしてくださいね。

「我が家の裏のクリスマスツリー」をダウンロード

 田舎暮らしの、小生のつぶやきを落として、聖夜を愛犬ドラムとで過ごしましょう。初孫を見たいですが、息子達はバンド仲間と、クリスマス演奏で活躍するそうです。愚妻は稼ぎ時の料理屋のお手伝いですね。寂しいですが、なぜか不思議に「心は晴れてますね」(笑)。
我が身のまわりを振りかえりますと、先ずは初孫が誕生しまして、大きくなりましたね。また息子達夫婦の幸せそうな笑顔を眺めましたね。これが小生の本年の最大の幸せでした。

 しかし、同じ商店街の仲間の廃業が相次いで出たり、友人達の事業家が倒産、自己破産と言うのも多く眺める年でもありました。クリスマスの飾りも見かけなくなった商店街の皆さんの元気なさや、居なくなった友人達の聖夜は、どんなものだろうかと思いますね。さて、小生は元気を取り戻す方法を模索しなくてはと、自分を励ましています。

 上記の画像(寂しさが漂いますね)のようなもので、クリスマスを祝っている様では・・・と呟いておきますね。

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里を想う・・つぶやきです。

2007年11月1日天気は小雨模様です。

 もう本年も、あと二ヶ月となりましたね。田舎の自然の素敵さを楽しむために、野の花達を追って遊びましたが、センブリ(呑気アルバムに掲載)をもって、ほぼ最終章となりますね。でも、里では椿等の冬の大花達が咲きますよね。

 さて、「つぶやき」ですが、コアラが落ちると言うテレビを見ました。地球のバランスが崩れかけているのですね。コアラは、木の上で葉を食べて暮らしていますが、1週間に一度ぐらい地に下りてきて、木の根元に糞をして、その糞を葉で隠すそうです。自分達が食した木に栄養を返しているのですね。
 このことを知って、つい50年前の小生の子供頃は、里もまったく同じだったなーと思いました。学校帰りの畑や田圃横には、肥溜め(人間の糞尿を貯めている)が沢山ありましたね。落ちた友人もいましたね(笑)。

 今現在も、私達が見ている自然の風景は、高山風景を除いては、人々の営みとの調和で生まれてきた自然だと、小生は思います。素晴らしい里や里山風景も、人々が暮らして行くために、延々と自然との調和(格闘もあったでしょう)を目指して出来上がってきたものだと思います。農家の方達が、大草が繁茂すると、刈り取ってくださるから、小さな里の野花達が咲けるし、私達も眺めて楽しめますね。
また里山も、山の幸を求めて人々がよく入って行ったのでしょう。その歩く小道に陽があたり、小さな花達が咲きあがったのだと思います。秋の味覚の王者の松茸が少なくなりましたが、里山を昔の人達の営みに戻してやると、再生可能だと言われていますね。

 その様に思いますと、私達も、コアラの様にお返しをしなければと思いますね。この僅か50年間ほどは、自然から簡単に大量に搾取することだけに、営まれてきたと思えますね。温暖化や大量生産の食品問題、海の魚介類の減少等々と、農村、漁村の素敵な風情が崩れて行く心配を感じますね。沿岸の海の幸も、山を再生すると戻ってくるそうですね。

 小生は、里にどっぷりと浸かっています。里に繁茂する逞しい植物達に遊んでもらっているから、まだまだ里は人々の営み次第では、充分に守れる気がします。

「里の秋風情」をダウンロード
 10月中ごろに、我が地から少し北奥の山間部で眺めました。里山の木々や草達は、人を寄せ付けないぐらいに元気ですね。昔の人達は、燃料とする柴刈りに入られたでしょうね。その懐の人々が作り上げた田圃や畑があるからこその、素晴らしい里風景となるのですね。
 まだまだ大丈夫ですね。里の人々の心も穏やかです。日々自然との調和の中で暮らしていますね。

 ただ、政治力でしょうかね。税金、農業政策、豊かさへの憧れの若者の田舎離れ等々と、問題は山積となって来ていますね。山間部も老人達の暮らしとなってますね。美しい里風情も、人々の営みがあって、続いて行くものだと思います。ぼちぼちと、自然に恩返しを考える時期に来ていると思うと・・僅かこの50年ほどなんだがなーと・・つぶやいておきますね。

追加・・里の心象風景としては、「慎ましやか」(つつましやか)だと思います。これからの時代は、この「慎ましやか」が解決の鍵かもと・・追加につぶやいておきます。

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アバウトミーからネットを思う・・

2007年8月26日天気は快晴で残暑が凄いです。

 Gooの閉鎖にともないまして、このブログをコンパクトにまとめて、出きるだけ昔からのお友達との交流がスムーズに行える様に、ゴソゴソと色々なネット遊びの情報を見ながら作りつづけています。
 さて、右メニューに桃色のアバウトミーと言うページ(無料)を貼りつけて10日ほどになりますね。アバウトミーにログインして、毎日少しの時間ですが遊んで見ました。

 最初にアバウトミーの説明を見た時には、プロファイルの飾り板ではと思いましたが、「一言コメント」がつけられることを知りまして、色んな掲示板一つを日記がわりにし様とも思いましたが、アバウトミーにすれば簡単に更新発信できると思いました。「うん、これで大戯言は塵埃記、ちょっとした日常戯言はアバウトミー」と言うことで貼りつけることにしました。

 小生ははじめたばかりで、確りとは把握できていませんが、アバウトミーは、mixiとよく似ている感じですが、コンパクトで質問形式で自分を見つけたり、世風疑問や交流相手に自己疑問をアッピールする要素を重要にしている様ですね。
 mixiもお友達に誘われて遊んでいましたが、Gooの簡易HPの交流が大切で多くなり更新できないのと、交流があまりにも身近になりすぎて困惑を感じて放置していましたが、更新期限切れでなくなってしまいました。

 アバウトミーは、交流をコンタクトとさらりとした表現を使っていますね。沢山の皆さんの質問に答えるだけですね。もちろん質問の答に確りと応答したければ、コメントをつけてコンタクトすれば良いだけですね。ただアバウトミーにログインしなければ交流(質疑応答)は出来ないですね(アバウトミー仲間にならないとですね)。

 ネット交流における新しい形態のものだと思いますが、次々と新趣向が登場するのでしょうね。小生の質問は「秋の七草で、見たことのない草は?」ですね。野草花を追って年数が経つ小生でも、野生のフジバカマをまだ見たことがないからですね。まだまだ皆さんからのお答はこれからですが、オミナエシと答えられますね。都会の方達だとそうかもしれませんね。
 そんなこんなでですが、これからの楽しみなのは、質問によっては、ひょっとして現代の世風(ネットの中の)を感じられるのじゃないだろうかと言う魅力も持ちましたね。

 ガイアックス系の簡易HPで長くネット交流を楽しんできました。自分のページに反映したLogをクリックすると、ガイアックス系の海だけですが、ネットサーフィンを楽しめましたね。そうやって素敵なお友達作りをしてきたわけですね。そこでもう一度ガイアックス系でと悩むのですが、もうある程度のお友達に収斂されてきているのじゃないかとも思ってしまうのですね。またある意味でのガイアックスの海だけじゃなく、大海に触れてみようとも思ったりします。でも大海に触れたい心は自重してしまいますね。
 「野の花の様に、さりげなく、さわやかに・・」を基本発信にしたいからですね(出来ていませんが)。前から言ってますが、発信することを大切にネット交流をしています。この「野の花の様に、さりげなく、逞しく」は、今を生きる若者達にも発信したい気持ちでいっぱいですね。

 各種掲示板や画像掲示板なんかでも、じっくり考えてみますと、皆様と一緒に作っている全国各地の情報発信板になってますよね。そんなところが好きなんですよね。

 戯言はこれぐらいにして、実はこの「塵埃記」を貼りつける個人ホームページも作っています。でも更新や発信が出来そうにないですよ。時間的余裕がありませんね。
ページアドレスをここに貼りましょう。・・お友達の皆さん、ご意見くださいね。
「呑気おやじ〓塵埃記」・・http://homepage3.nifty.com/nonnkioyaji/index.htm

では、本日の散歩で楽しんだ野草花をです。
「アレチウリの花」をダウンロード
アレチウリですね。大変に嫌われものです。川原や野にはびこると大変ですよ。我が地は古来からのクズが頑張ってまして、「クズよ負けるなー」と応援しているところです。

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戦争を知りすぎている子供達・・

2007年6月29日天気は曇り雨。

 本年も半分が終わろうとしています。本日も、天候が悪くて動けずにいます。そこで、ネットのお友達のページに入って、日記や随筆を楽しんでいます。

 あるお友達の日記に、与謝野晶子の「君死にたもうこと勿れ」の詩と、「戦争反対」を記されていました。私は単純に触発されまして、掲示板に「戦争を知らない子供達」についての戯言を記してしまいました。塵埃記に、その戯言を簡単にまとめてみたくなりました。

 私達は戦後生まれでして、まったく戦争を知らずに育ったと言われていますね。多感な青春時代に、フォークブームで「戦争を知らない子供達」(作詞は北山修、作曲は杉田二郎)の歌がヒットしましたね。

 私達は、当時の大人達から、「髪の毛を伸ばして、女の子みたいで軟弱で、好き勝手なことをしている。それが出きるのは、俺達が戦ったお陰だ。軍隊も知らないで、戦争反対なんて、考えが甘い。」と言い放たれましたね。

 あるテレビ番組で、この歌を歌いつづけている杉田二郎が、北山修を代弁して、「彼は、世界中の子供達が戦争を知らない世がくることを願って作った、希望の歌だ。」と、解説していまして、私はハットなったのですよ。

 なぜハットなったかと言うと、地球規模で物事を考えると、私達はとても「戦争を知らない子供達」などと言えないですね。「戦争を知りすぎている子供達」となりますね。

 ベトナム、湾岸、イラク、アフリカ内戦等々と、地球大戦争の真っ只中で生きていることになりますね。テレビのない時代の子供達よりも、無駄死に、悲惨さ、虚しさ、怒り等々の殺戮現場を余す所なく目にして、知るところとなってますね。また、今も銃を片手にして歩いている子供達が世界中に、沢山いますよね。バーチャルですが、私達は同じように戦争を経験していますね。
 
 日本だけのことを思っても、地球上の戦争を知らない子供達なんていませんよ。全世界の子供達が戦争を知らない世が、早く来ることを願ってやみませんね。小さく物事を見る輩達を、北山修はクスット笑っているかもしれませんね。
 先の愚かな大戦も、言論統制をなくしてや政治家の正義があって、庶民が亡くなっている戦争を確り報道していれば、犠牲者は極小になっていたでしょう。私達は、「嘘の報道を知っています。」からね・・嘘や誤魔化しだけは避けてほしいですね。庶民にとって戦争は、それが死ですからね。

 馬鹿が、「実体験を知らないじゃないか」と言うかもしれませんね。それこそ、私は大反対です。実体験以上のものを、もう見たり知ってますよね。愚かな歴史も知ってますよね。だから「風化させては行けない」と、叫んでいるのは、そこなんですからね。実体験は、死ですよね。自分が生きていてもまわりは死です。それが戦争です。なにも見ない死の方が楽かもしれない(殉死、特攻隊ですね)、それが戦争ですよね。

「キキョウソウ」をダウンロード
キキョウソウです。

 戯言に何の関係もありません。別名にダンダンギキョウ(段々桔梗)とありますから、おうっなるほどと言う花が咲いてましたね。

 人は争うことが好きな様ですね。DNAにインプットされているのでしょうかね。この日本国や身近な地域社会を見ても、政治や経済や人々交流(格差)も、戦争とまでは言いませんが、争っていることは確かですね。寂しくて、悲しくて、残念ですね。
 争いは、スポーツの世界だけにできないものでしょうかね。

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心が決まりました。清清しいです・・

2007年6月20日天気は快晴・・陽射しの強い夏日です。

 「カエルツボカビ症」を知ったり、1950年代からの人類の発展途上国の豊かさの追求やらで、沢山の植物や生物の種が絶滅していることを、テレビやマスコミ報道で知りました。

 今後50年の間に、今生存している自然界の種が半分は絶滅するだろうと予想されていることも知りました。

 色んな理由があるそうですが、人類は豊かさを追求する生物であり、今後もそれを求めて日々邁進するだろうと言うことも知りました。

 色んな問題が噴出してくるでしょう。経済活動の不備から、格差が広がり民衆が戸惑うことや、貧困も訪れるでしょう。でも人類だけは、生存発展し続けるでしょう。最後は、アメリカの未来映画の様に殺伐とした自然の中で、逞しくパワフルな勝者達の世界かもしれませんね。

 テレビや報道で知った事を記して、塵埃記にまとめ様としました。辞めました。もっと勉強してみたくなりました。色んな自然保護に叫びを上げている学者達が沢山いることも知りました。
 小生も、身近な野花達に遊んでもらっています。じっくり勉強して取り組んで行こうと心が決まりました。

「神社のご神木」をダウンロード
近くの神社の大門横の、大ケヤキです。

 今日の散歩で、仰ぎ見てお願いではないですが、よろしくお願いしますと、氏神様と大ケヤキに呟きました。

 今日も、商店街の皆様が集まり、会合があります。滅び行く中で、どの様に経済活動を続けるかや、金儲けをどうするかに集中する会合となるでしょう。そんなことばかりに、全精力を傾けているのが我々だろうと、日本の国を見て思いますね。色んな政治の話も、金銭がらみや生活をどうするの問題に政治は奔走して、迷走していますね。

 小生も同じレベルで悩んでいました。でも未来の人達(我が初孫)の為に、自然保護の観点からものを言う「意地悪爺さん」になってやろうと心に決めました。まだまだ我が地は、自然豊かな田舎です。住民の皆さんから笑われるだろうと思いますね。
 しかし、馬鹿がいないと世は進まないの言葉もあります。そう思うと心が清清しくなり、老いの道で、田舎で長老となる身だろうと思います。変わった年寄りに見られるか、先読みの凄い年寄りと見られるか、ワクワクする感じを持ちました。

 自然保護の為に、老後活躍(うるさい親父)できれば、本望ですね。

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老化防止の野花遊び・・

2007年4月22日天気は雨です。

 NHKのテレビ放送で、阪神の金本選手や横浜の工藤投手の、プロ野球選手としては高齢の選手がなぜ活躍できるのかと言う番組を見ました。

 彼らは、股関節を大変重要にしていて、股関節をどの様に鍛えるているのかを紹介していましたね。上半身をバランス良く支える股関節が衰えると体がぶれて活躍できないのでしょうね。走って下半身を鍛えるだけでは、高齢での活躍を維持できない様ですね。
 工藤投手の四股を踏む動きで鍛えたり、金本選手なんかは、220kgのバーベルを背負ってスクワット(屈伸運動)している画像を見ましたね。

 テレビで、体育力学の先生が言ってました。一般の人達も老いて来ると股関節が弱り、バランスを崩し、こけることが多くなるそうです。
 犬なんかも、老いて来ると後ろ足の腰辺りから後ろ足が動かなくなりますね。

 一般人が野球の選手の様に鍛える事は出来ませんが、普段の日常の中に股関節を使う運動をさりげなくとり入れて行くと良いそうです。走っている、歩いているでは駄目の様です。
 老いてからは、鍛えすぎもいけないそうですね。体全体のバランスをとるところだからだそうです。やっと、本日の塵埃記の題に入って行けます。

 私は愛犬との散歩で、畦道や野道を歩きますが、花達を眺めて楽しんだり、デジカメで遊んだりする時には、必ずしゃがみます。野の花達は、総じて小さいですからね。

「ノヂシャ」をダウンロード
ノヂシャですね。出きるだけアップしました。

 小さな花の集まりで、やっと野で見つけることが出来ますね。5mmほどのヒラタアブでしょうか・・花に戯れていますね。大きさがおわかりいただけると思います。
 野の花は、この様な花達がほとんどと言って良いですね。見つけてはしゃがみ、また次の花を見つけてはしゃがみですね。

 やっと老化防止のところに来ましたね。しゃがんでいる回数は、花達次第ですね。散歩中に股関節を使う屈伸運動を何回するでしょうね。これからの季節は多くなるでしょうね。次から次へと咲きあがってきますからね。

 老化防止の野花遊びと題して記しました。屁理屈の様ですが、股関節が重要だと言う番組で、私自身はどうしているかなーと思いました。
 「あっ、日常の散歩で股関節は使っている」と気づいた次第ですね。皆さんもしゃがんで花達を愛でてやってみてはいかがでしょうかね。

相変わらず呑気な記述になりますねー。

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喜劇映画が見れなくなった・・

2007年2月7日天気は快晴。

 昨日、BSでまた「フォレスト・ガンプ」(一期一会)を楽しみました。1994年の作品ですから、もう12年前になるのですね。

 私は、テレビは映画番組を中心に見ます。田舎に住んでいるために、最新の見たい映画を劇場で見ることが出来難いです。映画は、子供時代を田舎の映画館の息子として過ごしましたから、大好きなんです。
 そのテレビからの映画ですが、この「フォレスト・ガンプ」以降の映画で、愛と涙と笑いの本格的な喜劇映画が大変少なく、見ていない感じがしました。お笑いだけのドタバタ笑劇のテレビドラマや映画は時々目にしますね。
 「釣りバカ日誌」はどちらに入るのでしょうね。微妙な映画の感じがしますね。サラリーマンの方達からだと、喜劇映画に入れても良いかもですね。「男はつらいよ」と「バカ日誌」と言う言葉の違いのようで、喜劇か笑劇かを迷いますね。

 「男はつらいよ」の寅さんシリーズもテレビで再々放映されていまして、楽しんでいます。渥美清と言う俳優の喜劇役者としての才能の素晴らしさを益々感じています。
 彼の若い頃の主演作の軍隊映画や版画家の棟方志巧役を演じたテレビドラマも見ましたが、人物そのものを素直にまじめに演じているのですが、笑いと哀愁を発散させる演技が出来るのですね。フォレスト・ガンプの主演のトム・ハンクスに少しだけ重なりましたね。

 私は、「フォレスト・ガンプ」を見て、昔に見た時に笑った場面や感動の場面が変わってきていましたね。あらゆる人達が、それぞれの人生観から違う見方が出来る映画なんだろうなー。喜劇映画の持つ、笑いの奥に秘められた愛の情景や涙の特徴かもしれませんね。私の人生観も、この12年の間に変わったのでしょうね。

 ネットで、フォレスト・ガンプ評などを見ると、松竹新喜劇で名を馳せた藤山寬美とダブらされていましたね。私もこの映画は、藤山寬美の笑いと涙に近いと思いましたね。

 こうやって考えて見ますと、最近に素晴らしい喜劇映画や喜劇俳優が見当たりませんね。
 喜劇王と言われたチャップリンの演技や映画に匹敵する作品が出てきてないような気がします。

 今、「武士の一分」等で有名な山田洋二監督(寅さんシリーズの監督)も、「国際的にも、喜劇映画が大変少ない時代になっている。私も、一番に挑戦したいのが喜劇映画だ。」と言ってましたね。
 また、人を笑わせて感動させることほど難しいことは、ないそうです。と言う事は喜劇が一番難しいそうですね。

「人面木コブ」をダウンロード
この月曜日の里山歩きで、木のコブが、人の顔に見えました。クスット笑えますか。

 フォレスト・ガンプは、笑いの中に、ハットする言葉がこぼれてましたね。
●「過去を捨ててから前に進みなさい」
●「人生は運命が決まっているのか? それとも風にさまよっているものなのか? その両方だと思った。」

 喜劇映画が見れなくなったと題して、塵埃記を進めました。利口で小賢しく、ずる賢い者達が活躍する世が反映しているのではないでしょうかね。

 生真面目で一生懸命な姿こそ、笑いと涙や哀愁に満ちた愛が生まれて、人生は感動そのものだと、喜劇映画(フォレスト・ガンプ)は教えてくれている気がしますね。

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滅びの美学・・

2006年12月5日天気は晴れ。

 この前の塵埃記に、「滅び行く田舎の商店街」と題をつけて、拙い思いを記しましたが、反響のコメントを沢山頂きました。大変ありがとうございました。

 どんなものにも、滅んで行く道が待っていますので、「滅びの美学」と言うことで塵埃記を進めますね。我が商店街は、もっか見届け途中ですので、庶民や人(生き物)に絞って、呑気な思いを記しましょう。

 まあ生き物は総てが、最後は土に帰りますね。ですが、生は抗うことに一生を費やせねばなりませんね。生き物は、生きる為(繁殖と食うために)にほぼ全精力を費やして、滅び朽ち落ちて行きますね。

 人間も考えてみれば、同じですね。ほとんどの人が、幸せになろうと、ある意味で自己に抗って(努力と言うエネルギーを使って)歩いているといっても良いですね。仕事や自己研鑽にエネルギーを費やしていますね。
 老いても同じですね。病気や老衰と言っても、その病との戦いの日々ですね。ガンや不治の病を抱えた庶民の皆さんも、戦いの日々ですね。頑張りぬいてくださいですね。

 結論に近づいてきましたね。「滅びの美しさ」は、自己に抗う過程があってこそ、美学と言える姿が見えてくるのだと思います。美しく滅ぶと言うことは、沢山のエネルギーの放出後にやってくると言うことでしょうね。自殺はいけないと言う宣伝にもなってしまいましたね。

 私は、病で永く寝たきりだった両親を看取りました。二人の臨終に立ち会いましたが、果たして「滅びの美学」だったかどうかは、二人に、生き抜いてきた過程を聴かないとわかりませんね。

 私自身の美しく滅びたい気持ちは、蝶のように舞いつづけて、ポトリと落ちたいですね。ああっ、今日も生きる為に、自分と抗った、ゆっくり眠ろうと安眠に入りますが、そのまま目が開かないことですね。(抗う<アラガウ>は、美味いものを食うや遊ぶことも含みますよ。自己抑制の抗いですね。)
 「眠る様に亡くなりたいですね」・・・

 今の医療だと無理だと思いますね。病や老衰との戦いになるでしょうね。まあその過程が、「滅びの美さ」になるように、心に準備しておきましょう。

●追加戯言・・金持ちは、自己抑制の塊の人達ですよ。抑制の効かない金持ち、金におぼれる人達は見難く滅びます。最近ではホリエモン君ですね。
庶民の貧しさの中の自己抑制は、私は美学だと思いますね。●


「ハハコグサ」をダウンロード
本日の散歩で、冬のハハコグサを見ました。

 オマケ画像ですが、枯れた畦道で、少ないですが、この黄色は目をひきつけてくれます。
 寒風の中で、這いつくばる様に咲いていますね。夏には草丈は30cmを超えますね。葉に繊維のような毛を持ってますが、暖かくはないと思いますよ。

 まあ冬の時代に這いつくばる様に、世風に抗って咲くのも、ある意味で美学ですよね。私の事を言っているのじゃありませんよ。呑気者は、美味しい酒と抗っています。死ぬ寸前まで呑めるかなー・・戦い抜きますよ

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可愛い子には 旅をさせろ・・

2006年11月29日天気は晴れ。

 野の花達も少なくなり、呑気な心も世風に揺らいで、ついつい塵埃記も「わだかまった心」を吐き出してしまいます。

 現在の「いじめ」や「学校教育」の問題で、ネットの中での、皆さんのコメントなどを拝見して、呑気な思いを記しますね。マスコミ報道は、あまり見ないようになりましたが、昔から思っていることがあります。

 私はマスコミ報道がちょっと異常ではないかといつも思っています。事件性のあるものを、突出して報道して、変わった事件や奇抜な模様を大量に流していますね。
 見ている側の大衆は、「そんな人がいるのかー、そんな可哀想な人いるのかー、自分の所では大丈夫だ」と苦笑いしながら見ているだけですね。
 政治報道にしても、各リーダー達の横暴振りが、まるで事件ドラマの様に流れていますね(テレビ風に、バラエティーのように)。もう慣れっこになって、大衆からは、悪に染まらないとなれないと言う、かけ離れた世界を見せられてますね。

 大人社会を知らない子供達の心は、「大人になっても良い事ないぞー、競争に負けたら大変だぞー。金がなけりゃー生きれんぞー」と煽られるばかりですね。引きこもってしまう子供達も出てきましたね。自立して大衆の中へ、引きこもると文化芸術が生まれるかもなんですがね。

 自殺報道なども、相当に心して報道して欲しいですね。欧米の先進国では報道はしないそうですね。しても「まず、自殺は罪だから」と促してからだそうですね。

  私が、もしもマスコミ関係にいたら、もっと「大衆の素晴らしさや美しさ」を報道してあげたいですね。子供達に「夢や希望をあたえ、社会は素晴らしい」と思える番組を沢山作ってみたいですね。

 前にも記しましたが、思春期の子供達は、大人になろうと自立して行くのですね。「可愛い子には、旅をさせろ」ですね。学校と言う世界も、ある意味で社会に出るための人生の旅ですね。(あの先生のような大人になりたくないと、学ぶのですね。逆が多ほどよいですね。)
 いじめ問題で、間違った過保護になり、普通に自立し様とする子供達を押さえつけない様にも思います。変な解決策を選択すると、もっと陰湿になる危険性も、子供達は持っていますね。

 学校教育でも、家庭教育でも、一番大切なのは「子供の自立」ですね。子供達は過保護にしても、しなくても、いつかは荒波の社会に出て行かねばなりませんね。誰の力も借りずに漕ぎ出せる「逞しさや優しさ」を身につけることですね。
 その自立(立派な大人になろう)を助ける唯一の基本は、「大人社会が綺麗で素晴らしい。」と思わせること(作ること)ですね。

 そんな風に思いました。だから私は、「いじめや基本教育」は、大人達社会に、すべての責任があると思います。今の現状は大人社会の反映ですね。面白おかしく煽るマスコミに引っ張られることなく、地域活動において、庶民の助け合う姿を、子供達に見せつけることだと思います。

 いつの時代も権力者や巷の独り善がりの独裁者は汚れますが、大衆社会(底辺の民衆)は、概ね助け合って、逞しく美しいものですね。

 またまた、話が飛び飛びですね。居酒屋談議の様になってしまいます。文章と言うより話言葉ですね。ご容赦くださいませませ・・

「ミカンの花」をダウンロード
本日の散歩で、農家の畑でミカンの花を見ましたよ。

 ミカンの花咲く頃・・五月じゃなかったですかねー。暖かさが異常な感じも受けますね。
 大人社会が、子供達から見て異常な社会に見えない様に、私達も心して過ごして行きましょう。師走に入りますね。皆さんの、心が明るくなる塵埃記にしたいです。

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協調と調和を生む大衆思想・・

2006年11月26日天気は曇り。

 大袈裟に大衆思想と題をつけましたが、ネット交流の中で、色々な問題を話し合ったりしますね。日本の現状の思いで、国家論に入り、迷い込んでしまったりします。
 私は、このページの発信の基本ともしているのですが、大衆の中からの思いを、重視して行きたいと思っています。ネット交流は、大衆の思いの洪水の中でやっているのですね。そこが大好きなところですね。

 思いあがった国家論をぶっている現状のリーダー達やマスコミ識者ですが、国家は大衆があってこそ作られてきましたね。
 時の権力者に犠牲になり、翻弄されながらも国を守り、築いてきたのは、逞しくしたたかに生き抜いてきた大衆(民衆)なんですよね。

 教育基本法の改正の時期に、「いじめ」が大きな問題になってますが、ある大衆の中から「思春期の子供達が、自立する時期である。親ばなれや先生(大人)ばなれを、し様としている。親や先生に、相談しなくなる時期だ。しかしこの自立して、大人になろうとすることが、もっとも大切だ。」と言った人がいましたね。学校教育の難しさを、大衆側から言ったのでしょう。「いじめ」に対する答えは見出せませんが、方向性は大衆の方が持っていると思いますね。

 ある歴史の好きなネットのお友達との交流で「あいまいな国、日本」と言うことでお話しました。
 私の拙い思いなんですが、日本は多民族国家じゃないだろうかと思っています。大昔に大陸から夢と希望(冒険心)をもってやってきた人達の国ではないだろうかとですね。だから意外と優秀な民族なんですね。入り混じってきたのでしょうね。大陸の様に、民族浄化という殺戮の大きな歴史もなかったですね。

 私の先祖も明石藩の下級武士までは判っているのですが、亡父が調べて言っていました。「性からだが、多分、戦乱の時期に、福井県あたりの当時の豪族に、お隣の国から、助っ人として集められた武将か職人だろう。」・・そんな風に大衆としては、入り混じっている国だと思います。
 島国根性と言いますが、あいまいですが、受け入れると言うのも、逆に島国だから出来たのですね。大昔には沢山の人達が、入ってきたでしょうし、受け入れていたのでしょうね。

 日本国の歴史上の悪(大衆がやったのじゃないですね。)なんですが、日本に連れてこられた在日韓国の人達は大変優秀ですよ。恐らく、頭や体力の優れた人達を選抜したのじゃないでしょうか。
 私の友人達から感じます。恵まれてはいないですが、運動能力や勉学や行動力は素晴らしいですね。地域に溶け込み、町内会長も引き受け、日本の女性と結ばれ、立派に子供達を成長させ、このほど帰化した友人もいますね。

 多民族国家米国のアフリカからの奴隷達も、そうだったでしょう。奴隷の歴史を持つ人達がそのままアフリカにいたら、オリンピックはどんな感じになったろうかと、子供の様な思いが沸きますね。

 国家権力に翻弄されながらも、大衆は、協調と調和を模索しながら、それぞれの小さな単位の地域と言う土壌で、したたかに生き抜いているのですね。これからも大衆は、その身近な生活の場で助け合って行くのだと思います。

 無謀な子供の様な思いですが、国家や国家思想(リーダーや権力者の愛国心)なんて要らないと・・小さな国家で、小さな国家論で、大衆が生き生きと地域で調和して行くのが良いような気がしますね。

 相変わらず話が飛んで、どこかに迷い込んだ思いになってますね。まあ田舎の呑気者の子供の様な思考だと、笑っていただくのが一番ありがたいです。

「ツルウメモドキ」をダウンロード
ツルウメモドキが弾けました。

 オマケ画像です。紅葉もそうですが、黄色と赤に染まって、だんだんと冬を迎えるのですね。

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無駄に生きている・・

8月25日天気はカンカン照りでした。

 居酒屋帰りで、大変に酔ってます。この状態で塵埃記をすすめてやろうとなりました。居酒屋では人生とはなんだろう。男らしく生きるのはどうすれば良いのだろう(これ私が言うことが多い)。

 まあー私を含めて田舎の負け犬達が、酒で誤魔化して、ああでもない、こうでもないと騒いでいるのですね。私の人生も「よくもまー、これだけ無駄なことをしてきたものだ」と思うほどの人生ですね。そのことに理屈をつけたいので飲んでいるのでしょうね。

 大衆のほとんどが誰の目にもとまらないささやかな人生でしょうね。一握りの人達が世を賑わしているのでしょう。
 しかし理屈的には、そんな大衆がいないと一握りも出来ないのですね。北朝鮮の金正日さん(一握りどころか、主)も大衆があってこその主なんですね。その大衆の中でゴミを集めて、生きている子供達がいるのですね。無駄なことをしているなーと感じるのは、我々ですね。
 しかし、ある意味でその子達の生きる行為が世界に発信していると思いますね。

 なんか酔っているから、話が無茶苦茶ですね。無駄なことをして行くのが我々ですね。
 文化も大昔の最初は、絵画や読み物も等々も食べる為には無駄なものだったでしょうね。でも、その無駄の楽しさをやった人間達がいるのですね。岩に絵画を書いたり等々、そんな無駄が文化を生んだような気がします。

 蝉の一生を、無駄と関連させるつもりでしたが、上手く行きませんでした。世に出て2週間、土の中の8年間ほど、さてさて無駄があるのでしょうか。

結論・・人の世の生き方に優劣がないと思いたいですね。立派な人、落ちこぼれ、賢い、アホ等々と分けられないのですよ。大衆の無駄が経済から文化と諸々を推し進めているのでしょう。過去の戦時中の無駄のない偏った思想だけは、作り出さないようにしましょう。

 酔っているから、明日の朝に見るのが心配ですね。もうすぐ老いて無駄な人間になりますが、もっと無駄を作ってやろう。

寝る前に・・お金持ち達の「無駄遣いをしない。値切る。」と言うのを総ての大衆が真似をすると、経済は成り立ちませんよ。欲求の赴くままの大衆・・・もう寝よ。

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心無い人達に、心が悲しくなる・・

2006年6月23日天気は晴れたり曇ったり。

 日常の小さな花達を追って過ごしていますが、テレビから流れてくるニュースには暗い思いが沸き、またサッカー日本代表の活躍で心を励ましていましたが、残念な結果になりましたね。まあ私達日本サッカーも歴史を積み重ねて、未来の子供達から、野茂、イチロー、松井等々の世界を驚かす選手が出てくると思います。暖かい心で待ちましょう。

 でも、ライブドアーから、村上ファンド、日銀総裁等々や、罪のない小さな子供達を死に追いやると言う世相に、私はテレビを見たくなくなる気持ちでいっぱいですね。

 金欲や欲求のはけ口の中に心が存在しているのでしょうか。豊かさの中で総ての人々が暮らしてますね。明日の命が危ういアフリカの子供達のような状態ではないですね。

 心の中に曇りのない行動をなぜとれないのでしょう。自分達だけが満足する心しか育ってないのでしょうか。

 町内の飲み友達の中に、借家に住んでいるのですが、母親は永く寝たきりで病院、父親はボケが入り徘徊、彼は会社で窓際で責められています。彼は鬱病になりますよ。私を頼りにしています。なぜ永年奉仕してきた会社に心がないのですか。独身の彼は苦労とは思わない心を持っています。

 餓死するわけではないですが、心が枯れてしまいますよ。私が少ないですが、心の水を与えてあげたいと思います。

 皆さんそうだと思います。生きる死ぬじゃなしに、心が枯れてしまう世なんですよ。なぜこうなるのかを考察してみても、どんどん田舎でも荒んでいってます。
 人と人の思いやりや、優しさを育む、金欲に翻弄されない世を作り出すのが、人類のユートピアの目的じゃないのですか。この様に考えが甘いから、私は貧乏するのかなー。

「アワフキムシ」をダウンロード
アワフキムシです。泡を吹いて生きてます。

 なぜこんな塵埃記になったか、わかりません。皆さん、泡を吹きながら、汗して人生を送られています。そこに心が豊かであれば、申し分ない世になるのだろうと思いながら、心無い人達が多いことに悲しくてなりません。

 掲示板を乱す、心無い人達もいます。お友達から相談を受けています。なんか、今日の呑気は色々と頭が混乱してます。

心無い人達がいるのが、大変悲しいです。涙が出るより、怒りの悲しさです。

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金(欲)に溺れる・・

2006年1月24日天気は晴れ。

 ライブドアの幹部達が東京地検特捜部に逮捕されましたね。「拝金主義に批判と共感」と色々と報道されていますので、皆様のご判断に任せることにして、私は田舎での金にまつわるお話で対比させましょう。

 私のご近所に、我が町では由緒ある旧家の大金持ちがおられまして、山や田圃や市街地にと広大な土地をお持ちでした。しかしそれを守るから増やすとありとあらゆる努力をされ、町のお付き合いもせず、ある意味で皆さんからの妬みからか、嫌われておられました。私は懇意にしていたのですが、奥様も早くに亡くされて、子供さん達も離散され、一人で頑張っておられました。
 凄い旧家なんですが、その方が亡くなられた時のお葬式は寂しいものでした。縁者とのお付き合いも断たれていたのでしょうね。

 その後は相続税で、大半の土地が税務署に持って行かれました。ご近所の大きな屋敷には、何人かの子供さんの一人が帰ってきて住んでおられますが、身を小さくして一人で暮らしておられますね。私はまだまだ旧家を維持していくご苦労を抱えて、過ごされているのじゃないかと時々出会った時に感じますね。

 その一方で、同じご近所のおばーちゃんだったのですが、この方も旧家なんですね。子供達がこの町を離れて企業で活躍され、元気なうちは一人で住んでおられました。老いて来られて、ご家族のもとに行かれました。大きな空家が残ってしまいました。亡くなられた時に、「この町に、母がお世話になった」と子供さん達が空家を町に寄贈されましたね。今、「○○記念館」としておばーちゃんの名前を残し、我が町の公民館的な寄り合い場所として、使わせてもらってますね。

 ホリエモンさんは、「金でなんでも買える」と豪語していましたね。「人の心も買える」と言ってましたね。買えるでしょうが、偽物(欲に固まる)でしょうね。
 
 私は、金(欲)に溺れると、金に降り回されて、一番大切なもの(家族や仕事)を守ると言うエネルギーが、お金の方に吸い取られる気がしてなりませんね。心が守れなくなるのは必定ですね。
 家族や仕事を守るために一生懸命なところへ、宝くじの大金が落ちてくると、使い道の上に、大金を守って行くというエネルギーが必要になりますからね。

 スポーツや芸能と大金を手にする人達もいますが、メジャーリーガーのスター達の様に、社会貢献すると言う大儀があってこそ、家族愛や奉仕の精神と言う人心の本物を手にすることが出きるでしょうね。

「美男葛」をダウンロード   
画は、秋には素晴らしい赤い色の素敵な形をしたビナンカズラの実ですが、熟して実を落としています。

 金に溺れると関係がありませんね。栄枯盛衰とでもしますか、でも確りと種を落とし次に芽生える準備ですね。自分達だけがなんとか栄え様(こうしないと、お金は逃げますからね)も良いですが、まわりと歩調を合わせ次の代へと貢献して行く大儀も必要だと思いますね。

 六本木ヒルズ族さん達へ、「若者達だけで突っ走るのも良いでしょうが、我々段階の世代や立派な長老達のアドバイス(精神)も大切にした方が、今後は良いと思いますよ。」と呑気に言っておこう。

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50年前の私・・

「亡父が撮った写真1」をダウンロード

 12月13日の昨日に、大変懐かしい想い出を振り返ることができました。我がボロ蔵から「先祖達が残した写真を見せてください。」とある出版社から、カメラマンがやってきました。
 その膨大な数に驚いていました。埃まみれになっていたのを綺麗に整理していただき、「市に保管してもらってください。」とまで言ってくれました。郷土史の写真集を出版する様ですね。高額な本で、ちょっと驚きましたが、何点かデジカメにおさめて帰って行きました。「アルバムから、はずさないでください。」の言葉も印象に残りましたね。

さすが、郷土史を追っているカメラマンです。年代がわかるのと、我が亡父が自分で現像していると驚いていました。それに、「昔は人物が中心の写真が多く、亡父様は芸術家です。背景を取りこんでおられます。この背景が郷土史では、大変に重要なんです。」と、亡父を誉めてくれましたよ。また当時は、小さな写真1枚でも、今の値段にすると500円はかかったでしょうとも言ってましたね。

 亡父の想い出が蘇ってきました。地域の人達と写真クラブを作ったりして、色んな写真展に出品して楽しんでいましたね。映画館を経営してましたから、ハイカラさんでしたね。古い写真を振り返りますと、その遊び心に、なんとなく私の中に、その血が流れているなーと感じてしまいましたね。でも音楽をやったり、木彫りをやったりと、写真技術も写真屋さんが顔負けしたと言うぐらいでしたから、とても私が及ぶところではありませんね。

 そんなこんなで、懐かしい私達の子供時代を撮った写真を、デジカメで遊んだ画像を貼りつけます。
まだまだ、入賞作が沢山ありますが、人物が私達ではありませんのでやめておきます。

「亡父が撮った写真2」をダウンロード

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野や畦道の心配ごと。


野に咲いた黄色いタマスダレ一輪です。我が地の農家の庭にはありませんでした。

 野や畦道で鮮やかな大花に出会うと、ワオットびっくりして花収集の画像が増えたと喜んで画像にしますが、大花は大概が園芸種の飛来なんですね。今、畦道では白いタマスダレが元気です。
 上記の画像もタマスダレの黄色種だな-、珍しいなーとなったのですが、「黄色いタマスダレ」で検索すると、園芸花で花壇で咲き乱れてましたね(英名ももってますね)。私は野草花や雑草花を追ってますから、なぜかあーあっやっぱりかーと残念がってしまいます。

 残念がると言うより、野や畦道が心配になってきます。今のガーディニングブームで安い東南アジアからの園芸の花達が沢山入ってきて、皆さんが見飽きられると河川敷や野山に「ここで咲けよ」とばかりに捨てられますね。私はこのこともある意味で自然破壊だと思いますね。大変重要なことだと思います。毟り取られて絶滅する在来の野草花達、その上に外来の逞しい園芸花の襲撃、これじゃー日本の野草花達はたまったものではないですね。

 私も数年に渡り、我が地の野草花を見てきましたが、その画像の数の中でしめる外来帰化種がなんと多いことでしょうか。
 タンポポをよく例に出されますが、在来の日本タンポポはもう我が畦道では見れませんよ。鮮やかで大花の西洋タンポポばかりですね。つい50年前の子供頃の日本の畦道や野ではないような気がします。

 どうすれば防げるのか、どうすれば昔の日本の野を復活させるのかはわかりませんし、もう無理だとも思いかけています。
ただ、上記画像のような園芸花は、皆さんが確りとガーディニングルールを守り、自然の中に捨てない様には出きるはずですね。鳥達が運んでくると言う行動は、これは自然のすることであって致し方のないことでもあり、植物達の繁殖本能ですから、自然に任せましょうでしょうね。
毟り取らず・飽きても捨てず・・なんか哲学が見えてくるようですね。

黄色いタマスダレに、在来から日本にいるウマオイがのってくれたことだけが、救いかもしれませんよ。

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結婚式・・

友人の息子さんの結婚式に出席しました。
若者達の新しい門出に参加させてもらいました。
喜びにあふれた笑顔の二人を見て 幸せを貰いました。
厳かなチャペルで 二人を祝福しました。
流暢な日本語の牧師さんでした。
色々な言葉を牧師さんから 二人はいただいていました。

最後の言葉が大変印象に残りました。
「これで二人が明日から夫婦になったのではありません。
これから二人で愛を育みあい 助け合い 苦楽をともにして
一生を添い遂げて はじめて夫婦となるのです。」

二人は祝福の中で 身動きもせず聞き入っていたようです。

「谷間に三つの鐘が鳴る」と言うフォークソングがありますが、
祝福の鐘は 一つ目が誕生です。
二つ目が結婚 三つ目が死だそうです。

二つ目の鐘をならした二人に「幸多かれ」と心でつぶやきました。

siki1本日(3/22)は、チャペルでの幸せなカップルです。ポケットカメラですので、もっと近づいて撮れば良かったのですが、まあ雰囲気だけでもお楽しみください。

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母を看とる

 この3月7日に、母が旅立ってしまいました。享年88歳の天寿をまっとうしてくれました。昨日初七日の法要が終わり、一段落と言うことで塵埃記を母を看とると言うことですすめましょう。

 私達家族は、父が動けなくなり、ベッドで寝たきりになった状態で8年間と言う長い在宅介護を経験していましたが、父を送った後、母も寝込んでしまいました。2年ほどは寝たり、起きたりでベッドのそばですが自分のことは出来ていましたが、3年ぐらい前から歩くことも出来なくなり、病院と在宅介護の繰り返しでしたね。

 本年の正月あけから、体調が悪く、また病院にお世話になりましたが、この2月25日には元気になり、また在宅での介護をしていました。しかし3月5日頃から食事がすすまなくなりました。普段はベッドを起こして食事だけは自分で食べていましたが、食べさせなければ食べなくなってしまいました。妻と「困ったなー」と言いながら、3月7日の夕方に、ご近所の係りつけのお医者様に来ていただきました。お医者様は「熱もないし、どこも悪くはないようです。ただ老衰がすすんでいます。無理に食べさすよりも、栄養のある食事を私が用意しましょう。」と言うことで、缶詰の中に食べやすい栄養が入ったスープ状の食事をいただきました。

 私は安心をして、いつもの居酒屋へ友人と飲みに出かけました。7時過ぎに帰ってきて息子とテレビを見ていましたが、7時40分ごろに妻が目に涙を浮かべながら「おとうさん、おばーさんが・・」と叫んで私達を呼びに来ました。私が妻に「どうした」と言うと、妻が「呼んでも目を開けないのですよ。」とでしたので、飛んで母のそばに行き、3人で「おばーさん、おかーちゃん」と大きな声で揺り起こしましたが、母は「あっ、・・」と小さく声をあげてくれましたが、顎が落ちて小さく口を開けてぐっすりと眠ってしまったようになりました。すぐにお医者様を呼びました。「母が目を開けないのですよ。」と言うと診察中も「おかーさん」と呼んでいましたが、お医者様が「もう、呼んでも無駄ですよ。8時10分。ご臨終ですね。」と言われました。

 私達は長い在宅の介護で母をそばでズート見ていましたから覚悟は出来ていました。妻は涙ぐんでいましたが、息子にご近所の身内に連絡させて、来てもらいました。今後のことを話し合ったり、母を見送ってくれたり、身内の女衆で、母の体を洗い、着物を着せて、ベッドから北枕の布団へと寝かしつけました。あっという間に時間がたっていました。明日がお通夜で、明後日がお葬式と言うことで、大変だからと皆さんが帰ったのはもう8日の0時を過ぎていました。

 妻と息子は、今後の我が家での接待の準備でごそごそしていましたが、私は母のそばで、母と二人で話をしましたよ。母は昔堅気の父のお守役と、男ばかりの3人の兄弟を育て上げるのに苦労ばかりだっただろうなーと話しましたよ。あまりの辛さに心病を患ったりもしましたからね。在宅で介護をしている時も、我妻に「迷惑ばかりかけるから」と寝込んでいても悩んでいたようですよ。そんなこんなを思い出していると、安らかに眠っている顔を見ると「おかーちゃん、やっとゆっくり休めたようやなー」と言葉には出ませんでしたが、心の言葉が漏れ落ちてしまうぐらいの穏やかな顔で、動かずに眠っていましたね。

 私は、これで親二人を看とったことになりますが、死は決して辛く悲しいものでもない、まして怖いものでもありませんね(死はある意味で、エネルギーを使うと言う現世の苦しみからの脱却でしょうね)。天寿をまっとうすること(生きぬくことが)が大切なことで、そうすることが次の空間に安らかに歩みをすすめて行くけるのだろうと思いましたね。必ず訪れる道を受け入れて正しく歩いて行けば良いと、また思いましたね。
 葬儀の後の、ご臨席の皆様へのお礼のご挨拶にも、「残された私達も、皆様のご厚情におこたえして、こらからも正しい道を歩んで行きたいと思います。どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。」と結びの言葉にしましたね。(正しい道は、一番簡単な道だと思っています。人の道は言い尽くせないほど、過去に解き明かされています。)

♪あっと一声別れの前にありがとう♪・・
 この塵埃記を記していて、あっと小さく聞こえた母の声がまだ耳に残り、駄句にしてしまいました。私の時は、「ありが・・」ぐらいまで声を発したいと思いますね。

saidann
本日(3/13)はこれから4月24日の四拾九日の法要まで毎晩、母が仏様のそばに歩んで行けるように後押しの応援歌のご詠歌を歌います。我が地の田舎ではごく普通の祭壇ですね。
死者の祭壇を掲載するなんて、呑気おやじですね。

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庶民の悲しみ・・

もう本年も2月に入ってしまいましたが、楽しい話題がありません。悲しい出来事が飛びこんできました。私の後輩で、そこそこの電気工事会社を経営していた家族(6人)が夜逃げをしたようです。昨年の暮にも、知り合いの土建屋の家族も夜逃げをしていました。二人ともまだ40歳代の若さで小さな子供達も親御さんもいましたね。
今日の朝に、その電気屋の家を見てきたと言う友人から、「何も持たずに逃げたようだ。」と電話がありましたね。ぐっと心が縮こまってしまいました

 30歳代の頃は地域社会の商工会や青年会議所等々で元気に活躍していた姿を見ていました。また経営の方も脂が乗り切ってきた時だろうなーと思っていました。のんびり田舎も庶民には冷たい不景気風が吹き荒れているようですね。また表面には見えてこないのですが、庶民の底辺ではドンドン広がっているようですね。
この1年ぐらいの彼らの生活の中で、彼らの心の痛みや苦しみを思うと「小さな庶民の悲しみ」と言うか、また彼らが逃げてしまったことで、また連鎖のように迷惑をこうむる「庶民の悲しみ」が出てくるのでしょうね。

 昨年から地震災害や水害(世界では大津波)等々、底辺であえいでいる庶民の苦痛はいかほどのものか、阪神大震災も庶民にとってはまだまだ苦労がつきまとっていますからね。

 夜逃げと言うことで、「自分でまいた種だ、人生の敗北者だ。」と決め付けるのは簡単ですが、だったら敗北者の反対の成功者とはと考えると、成功者は総ての人達がなれないのですね。プロ野球等や芸人といっても総てが沢山の敗北者の上にいるだけですね。金持ちと言っても、弱い庶民からの搾取のようなもので成功者が出るのじゃないでしょうか。(底辺がなければ成功者はでない。精神的な成功者は幸せ者と言うのでしょう。)

 小さな庶民が悲しみや苦痛が出来るだけ少なく、元気に躍動する社会を作り出すのにどうした良いのでしょうね。夜逃げはほとんどがお金が原因でしょうね。お金から逃げると言う蝕まれる精神が生まれるとするなら、弱い庶民はもう一度「清貧の世界」を見つめ模索する必要があるかもですね。庶民の中での金銭にまつわる犯罪も少しは減るかもしれませんね。

 最後に昨日夜逃げした若者(後輩)に、「君もこの地域の大勢の若者達のトップを経験しているし、子供さん達もまだまだ小さいが、清貧の世界に入り、元気な庶民として生きぬいてください。」と塵埃記に残しておきます。

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本年もよろしくお願いします。

sinnnenn2本日(2005/1/2)は我が畦道です。

 新年のお祝いを皆様に申し上げます。今年はなんとか良い年に、皆様と一緒に作り出して行きたいと思っています。
田舎の小さな庶民のお正月を今年も楽しみました。私はお酒が大好きなんですね。酔って言いたい事を言って、少しでも気分が晴れるのならこんな素晴らしいことはないと、田舎へ帰ってくる皆さんを接待することが歓びなんですね。
 本年も拙いページで皆さんに笑ってもらおうとネットで遊びたいと思います。この画像の私の散歩道の身近な野草花達を今年も懲りずに発信して行きます。変な戯言は笑ってお聞き流しください。

「野に咲く花のように」杉山 政美  作詞   小林 亜星  作曲  

野に咲く 花のように 風に吹かれて

野に咲く 花のように 人をさわやかにして

そんなふうにぼくたちも 生きてゆけたらすばらしい

ときには暗い人生も トンネル抜ければ夏の海

そんなときこそ 野の花の けなげな心を知るのです

(間奏)

野に咲く 花のように 雨にうたれて

野に咲く 花のように 人を和やかにして

そんなふうにぼくたちも 生きていけたらすばらしい

ときにはつらい人生も 雨のち曇りで また晴れる

そんなときこそ 野の花の けなげな心を 知るのです

ルルル・・・・・・・・・


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本年の最後に・・

さて本年も残すところあと一日になりました。今年はほんとに災害の多い年でしたね。最後の最後にまた凄い犠牲者を出している地震と津波が襲ってきましたね。自然災害については皆さん「危機管理」「事後処理」「迅速予報」等々と色々な対策が行われないといけないと言われていますが、いつも沢山の犠牲者を出したあとで動き出すことが多いですね。なぜなんでしょうね。私はあの阪神大震災で当時10歳だった甥っ子をマンションの下敷きで亡くしています。だから迅速予報や迅速対応で子供達やご婦人達をなんとか最小限の犠牲で逃れられるようにして欲しいです。多くの犠牲はいつも弱者に降りかかっているようです。

 最近深夜にNHKスペシャルで「地球大進化」と言う番組がありますが、見ていますと自然災害と言うより地球の活動や宇宙の作用によって繁栄生物は死滅して、新しい進化をとげた生物が今日に至っているようですね。と言うことは地球の活動に対しては生物はなすすべもないと言う歴史を持っているようですね。今一番地球上で繁栄している生物の我々は驕り、高ぶることなく自然から、特に小さな動植物から謙虚に学んで行く必要があるとおもいますね。我々哺乳類の祖先は今の鼠のように小さかったから、生き延びてきたみたいですからね。

 それから、まだまだ人間同士の戦争も続いていますね。この犠牲者の数も凄いですね。戦争も弱者(子供達)が巻き込まれていますね。巷の凶悪事件からも戦争同様に、個人の生命の尊厳みたいなものが大変軽んじられてきたように思います。でも戦争だけは人間が作り出したものだから、防ごうと思えば防げますよね。「戦争だけは反対」と叫びつづけたいですね。凶悪事件も最低限子供達だけは守ってやりたいですね。

 最後に戯言を並べてしまいましたが、本年もネット交流だけは楽しい一年でした。ネットのお友達の皆さん、来年も笑顔いっぱいの素敵なネットライフを作り出して行きましょう。

 本年最後になりますが、この上記の夕日のように、「災」の年が過ぎ去り雲一つないすっきりとした明るい新年が、皆様に訪れるように心からお祈り申し上げます。
 田舎者の呑気なおっさんですが、来年もよろしくお願い申し上げます。

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お友達blogのご紹介です。

sasayurifuyusugata本日(12/21)はササユリの冬姿です。

 今日の塵埃記は、ネットをはじめて永いお付き合いをしている方のご紹介を記しましょう。この方とは野草花の趣味が合い、色々とネットでお話をしています。また毎日の様に「花便り」として、その季節、季節の野草花をメールで送って頂いています。素晴らしい画像群で楽しませて頂いています。
 この方は還暦を越されていますが、まだまだ山岳を歩かれて野草花達を追いつづけておられます。草花に対する愛情も知識も大変深い方です。ホームページをお持ちではなかったのですが、このほどblogを立ち上げられました。
 私の拙いプログで遊んで頂いている皆様にも、是非ご紹介したくてお知らせを記しておきます。

★気ままに野山★http://blog.goo.ne.jp/buchoho/


HNは「ぶちょうほう」と名乗られておりますが、俳句や川柳、都都逸と言った文芸の方も洞察がふかく、趣味の域を越えて気楽に遊ぼうと模索されています。是非皆さんのコメントやトラックバックで遊んであげて、ぶちょうほう(不調法)さんの世界に触れて見てください。

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心が邪魔をする。

saihouji.JPG
本日(12/4)は西方寺の御詠歌です。

 ネットのお友達のからまわりさんと、映画論から鬼才監督へと自称ダメ男達が色々と愚頭を使ってお話しましたが、行きついたところが「心」まできました。

 からまりさんから、解剖学者の養老猛先生の講演の中から「心には個性は宿らない」との説をだされて、心に個性がないからこそ論理が使えて、普遍の理屈が存在するのだそうです。理屈の一つ一つに個性があったら、推論が飛び抜け過ぎているので一般の理解を得ることは不可能になってしまいますねとお話頂きましたね。

 そう考えてゆくと鬼才や天才と言っても心が個性的ではなく、技術や技法が個性的で優れていることになりますね。人間の個性は持って生まれたもので顔(身体)に一番良く現れる(養老猛先生)から、イチロー打撃技術やヨン様の笑顔等々と身体的な個性であり、文学や絵画も頭の使い方や描く技術での個性であって心が個性的ではないのでしょうね。

 そこで私はイチローがテレビで語った言葉が頭に浮かびましたね。イチローはああし様、こうし様と色々と心が動くのを球場の看板等をボーット見つめて、揺れる心を無心にして意思に関係なく身体だけが反応した時に一番結果が良くなるし、そう努力していると言ってましたね。昔の剣豪の達人の域なんでしょうかね。心が邪魔をしているのですね。わかるような気もするのですが、どのようにこの域の技術を表現したら良いのでしょうね。イチローにも言葉にして表現できない領域なんでしょうね。世界のトップアスリート達が無心と言う言葉をよく使いますね。

 なんか頭がこんがらがってきました。現在の諸々の問題で我々は心が病んで来たり悩み苦しんでますが、心には個性は宿らないと考えると皆が同じ心で過ごしていることになり、自分だけが不幸だとか、自分の心は貧しいとか悩むことはない所へ行けますよね。ああっもう結論のところに行けない状態になりました。書き綴ってきましたが、私には「心」については到底語れないところに着てしまいました。この辺で・・無の境地に入れない呑気でした。

 

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ダウン症候群

nanakabennnosennburi.JPG
本日(11/3)は七花弁のセンブリ(普通は5花弁)です。
ダウン症の子供達にラッキーセンブリ(セブン)をです。

先日、テレビドラマの「たったひとつのたからもの」を見ました。久しぶりにウルウル感動しました。松田聖子の10年ぶりのテレビドラマ出演とCMで流れた親子の抱き合った映像等で皆さんが興味を持たれて、視聴率が30%を超えたそうですね。

私はこのドラマのダウン症の子を持つ親の愛情の深さに感銘を受けました。また今までに映画やドラマで子役の演技で数々泣かされてきましたが、この子役(実際のダウン症を持った)の演技(実演でしょうね)は生きていることの美しさをこれほどまでに表現できるのかと驚きましたね。
笑顔から仕草から見つめる目から、純粋無垢の素晴らしさに圧倒されました。この子役に勝る天才子役は出ないだろうなーぐらいに思いましたね。

あまりダウン症のことは知りませんでした。PC検索して色々考えさせられました。1000人に一人ぐらいの確率でうまれることや、障害というよりも個性と言った方が良いや、神からの授かりものだ等々の言葉を見つけましたね。
皆さんも検索で「ダウン症」と打ちこんで色んなページをご覧になってください。

PC検索からダウン症候群の冒頭文を記しておきますね。これは私が忘れないためにです。

★1866年 イギリスのジョージ・ラングドン・ダウン博士が、発達の遅れのある子どもたちの中で、互いによく似た顔貌と特徴ある身体症状を呈した数人の子どもを発見し、その顔貌が蒙古人に似ていることから「蒙古症」と命名しました。その後1959年にルジュンらによって「蒙古症」は染色体の異常を伴う特殊形態であることがわかり、そこで外観上の類似によって名づけられた「蒙古症」などの名称はなくなりました。そして名を統一する必要性が高まる中、1966年、ダウン博士の論文100年を記念する国際シンポジウムにおいて「ダウン症候群」が採用されるようになった。これを簡略して一般に「ダウン症」といいます。

★「ダウン症」は染色体に起因する病気ですが、ダウン症の大部分は,親がもっていた突然変異が遺伝して起こったわけではなく,卵子や精子ができるとき,または受精卵の発育初期に,23組の染色体のうち21番目の2本の染色体が正常に分離しないためにおこる染色体異常が原因です。ダウン症の染色体異常には次のようなタイプがあります。

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濁流が襲ってきた。

isimikawa.JPG
本日(10/22)はイシミカワ(タデ科)です。

 秋は川原でこのイシミカワ(石実皮)が宝石のような輝きで、綺麗に色づいた実を沢山つけて楽しませてくれていましたが流されたでしょう。

今回の23号台風で川原の水位は上がり、濁流が押し寄せてきて堤防の決壊やその上を乗り越えて町や田畑を襲いましたね。兵庫の淡路や日本海側に、また全国で沢山の人命を奪い、大きな被害の爪あとを残して通りすぎて行きましたね。亡くなられた方達のご家族にお悔やみを申し上げると共に、被害にあわれた方達に御見舞い申し上げます。

 大自然の猛威や天変地異はどうしようもないことですが、もっと自然に対して畏怖の念を持ち大切に共存して行かなければならないかもですね。今年の自然模様は、我々になにか警告を発しているようにも感じられますね。

昨日の神戸新聞に素敵なコラムがありました。その中の一部を抜粋しておきましょう。
★古の為政者は、洪水や暴風、不吉な彗星出現など天変地異が起きると必ず「徳政」を敷いた。民に対する恩徳の政治という意味だ。政は、天の付託を受けて行うもので  異変は、治世者の不徳に警告を発しているとされた。徳政は、道に外れた行為を反省し天に謝るものであった。

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トラックバックってなーんだっ・・

oosukasiba.JPG
本日9/16)はオオスカシバ(スズメガ科)です。
 
 いつも素敵な画像をプログに掲載されているリボンさんにトラックバックのテスト投稿をしたくて急遽この記事を作成しました。りぼんさんにはご迷惑なんですが、我がページにトラックバックを付けていただいた方ですから・・
上手くゆくと良いんですがね。ではでは挑戦してみましょう。

 オオスカシバ・・昨日、私の散歩道ではほとんど見かけない大きな蜂だと眺めていました。でもホバリングして次から次から花の蜜を吸ってゆきます。画像にしようとしましたが、とてもレンズの中には入ってくれませんでした。
えいっ適当にシャッターをきってやれとパチパチと追いました。やっと画像になったのが2枚でしたね。
ハチドリによく間違えられるそうですが、日本にはハチドリは生息しないそうですね。蛾の仲間だったのですね。
凄いホバリングしながら花を巡る姿は素敵でしたね。

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プログ

turubo.JPG
本日(9/6)はツルボ(ユリ科)です。

 昨日は町民運動会でした。天候が心配でしたが、何とか無事終了いたしました。
さてGOOさんへの塵埃記はまったく記していませんが、このプログの方へは記して行きましょう。この度のガイアの閉鎖に伴いプログに移行されたお友達がいらっしゃいます。
 まだお三人の方しか知りませんが、どの方もプログの素晴らしさを記されてきましたね。私は呑気者でして、いろいろな機能やトラックバック等々がこれからどのようになって行くのかも、まだまだ理解していません。
 でも画像のアップや記事の投稿がすこぶる簡単で、メインページに反映して行きます。またどんどんカテゴリー分類や興味あるページをリンクしていってもメインページに反映されて行きます。
 と言うことはですね、それぞれが興味のある分野や人達とどんどん連動して行くことになりますね。意見交換日記としての機能を感じますね。
 今後、顔の見えない人達とトラックバックしてゆくと色々な問題も出てくると思いますが、まだまだ理解をしていませんので気がついた時に塵埃記に記して行きましょう。

 

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差別問題の講演を聴いて・・

gagaimonomi.JPG
本日(8/30)はガガイモの花と実です。

 昨晩、人権問題の同和研修と言うことで、45歳ぐらいの公立の小学校の教師をしている人の講演を拝聴しまた。
内容は、子供の頃から部落差別を感じていたが、実際は大学や社会に出てから色々と経験したそうです。
彼は自分が差別部落で育ったことを隠して大学、社会を過ごしてきた中で色々な問題を差別する側の中に入って聞いてきた経験を話していましたね。その時に「自分は差別部落の者だ。」と言えなかったのは生きて行くために仕方ないことだった説明して、この問題は差別側、される側の両方に精神的な苦しみをもたらす問題であると結んでいましたね。

 私はこの問題も、今またいじめが低年齢化して増えている問題とリンクしてしまうのですよ。
なぜなら「いじめ」は多数派が少数派を排除することから始まるような気がします。少し障害あり皆と違う、また成績が優秀な人も少数派に入ってしまうことありますね。差別問題もどんな歴史があったのかは詳しくはわかりませんが、国策で少数派をいじめる(隅に追いやる)ことで社会のバランスをとろうとしたのじゃないだろうか。
 ですから我々多数派はいじめつづけてきたわけですね。少数派の差別されつづけてきた人達の心情やいかになのですが、現代ではいじめつづけてきた人達の心情も辛いものが押し寄せてきているのですね。
 個や人として相互理解を深めるしかないかもですが、成熟してきた社会では新たな差別が生まれてきているように思いますね。

 今も戦争が続いているし、人種問題で対立していますが、これもある意味で多数派が少数派をいじめているのじゃないだろうかと思うのですよ。多数決で決めると言う民主主義の盲点みたいな気しますね。民主主義の成熟した国ほど「いじめ」や「差別化や貧富の差」がどんどん進んでいるのじゃないかと思いますね。(国連は真の多数決になっているのかなー)

 基本的人権を確立する方向に行くべきだと思いますね。個人の人権を最優先する、多様な社会や世界を容認する様な教育や思想を作り出すことをもう一度考えなくてはと、昨日の講演といじめが増えていると言う新聞を読んでの、本日の塵埃記ですね。

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閉鎖が相次ぐ簡易HPに思う。

turiganeninnjinn.JPG
本日はツリガネニンジンです。

ガイア系の簡易ホームページが次々と閉鎖しています。
何年も書き溜めて来た日記やコラムをどうしようとお友達は混乱していますね。
別のところに移転しても、また閉鎖になるのじゃないだろかの不安ですね。
ネットのなんたるかがわからない無知な私の心情を記しましょう。

ホームページの世界も日進月歩しているようですね。これからもどんどん新しい簡易ホームページやそれに類した面白い情報発進のネット世界が登場すると思いますね。もうそれぞれの会社やメジャー企業の生き残り合戦が展開されているのでしょうかね。

 呑気な私は昔ながらの基本系のホームページ(誰もが簡単に作れて、年寄りでも見やすく、サクサクみれる)が確立されても良いようにも思いますね。来場者の数うんぬんじゃなく、個の表現体としてのページですね。
 
 ホームページと言うからには「家のページ」ですね。山奥の家で半年に一回ぐらいの来訪者しかないお家や、一日数百人の来訪者のある都会のお家と言う風に色んな個(家庭)のページがあって良いようにも思いますね。山奥のお家(ページ)には行ってみたいですね。歓待されるでしょうね。

 どんどん斬新な企画のページを持つ若者達から見ると「おおっ、昔ながらの骨董品のページだなー。どんなオッサンか見てやろう。」・・
 こんなネットの世界も面白いのじゃないでしょうかね・・呑気な時代おくれ者ですね。

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