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美しいもの(澄んで、清々しい)を追う時代かなー・・

2013年11月3日天気は雨・・

 過去のことを色々と思い出し、思いを巡らすことが多くなりました。徐々に老いが進んできているのでしょうね。ニュース等々で今の世風を見るにつけ、これから先はどのような時代になるのだろう。また幼い孫達が、どう歩いてゆけば良いのだろうと思考することが、一つの楽しみともなりました。

 結婚式や色んな挨拶の場所で、「明るく、元気に、正しく」と言う簡単な言葉を使うことが多くなりました。「明るく、元気に夫婦喧嘩もしてください。」のような言葉ですね。
 学校や職場では、「明るく、元気に」は一番大切なことだと思っています。「正しく」は自分の心に安心感が宿りますね。
 孫達に言っています。保育園に行く時には、「元気に、明るくだぞ」と言って送り出しています。我が家の家訓にしようかと思いますね。

 また孫達が、社会に出る十数年先は、どんな時代になっているのだろうと想像したりしています。

 私達(団塊の世代)が歩いてきた時代は、高度成長からバブル時代と、大衆に次々と初めて見るような物が登場して、飛びついた時代だった気がします。自動車にはじまり、テレビ等(パソコンまで)の家電から、遊びではボーリング、ゴルフ等々、量販店からコンビニと、夜にはスナック等々ですね。そんな時代で、私達は、それぞれに新しいものを求めて、活躍の場に散らばって行った様な気がします。戦後の何もない時をへて、物欲の時代(高度成長)を経験しましたね。どこかに心を置き忘れた時代と言えますね。

 兄と私は、その新しいものの中(物欲)で迷い込んでしまったような気がします。私は歳の離れた弟に、「お前は、確りと大学を卒業して、安定した企業の大木に取り付いてミーン、ミーンと鳴き続ける様にすべきだなー。」とアドバイスしたことを思い出します。彼は、ある心をもっていたのでしょう。同じ会社で活躍し続けて、後年の彼は、成功者と言えるでしょう。

 息子が社会にでる時には、「全国、旅をしてこい、アルバイトをやったりして、色んな経験や社会を見てこい。」でしたね。あまり学業ができていないこともありましたが、物が余り、大変多様な時代をむかえてまして、親としてもどの方向に進めたら良いのか判らず、息子自身に見つけさすには、「旅をしてこい」としか言えなかったのですね。
 旅を経験させて、概ね成功だったような気がします。ある心(私には判らず)を持って帰ってきているような気がします。

 庭で家族全員で、バーベキューを楽しんでいる時に、息子が「孫達が大きなったら、どんな人になるんやろなー。」と言ったから、私は「生きる価値を見つけられるような人になったら良いと思うよ。」と訳のわからない言葉を落としてしまいました。
 その後、「生きる価値」について、自分自身にズート問いかけることになってしまいました。時代時代に「生きる価値」は変遷するなーとの捉え方から、これからの時代は、「美しいものを追う」時代が、良いのじゃないかと言う方向へ思考がどんどんむかってしまいました。孫達が、色んな職種に向かっても、僻地や後進国(貧困な)のことを考えて、美しさを見つけて欲しい気もありますね。

 物欲の様な夢(未来)は、もう見えているような気がします。どんどん押し寄せてくるだろうと思いますね。そんな時代で、何に価値を求めればと思考すると、心が美しいもの(澄んで、清々しい)を求める方が良い様な気がします。
 「美しい国」、「美しい村」、「心の美しい人達」と国や地方作りにおいても、夢は大きく広がってゆきますね。

 孫の長男(七歳)と、イベント会場やフリーマーケット等々と遊び歩いていますが、欲しがるものは見慣れた食べ物だけですね。孫が「ジージー、僕はお年玉などで、18万円もっとんねんでー。」と言ったから、私は、「ジージーの経験からだが、お金を追いかけると疲れるからやめとけ、もっと他に持たないかんものがあるのやがなー。」と言いましたが、「美しいもの」とは言ってないですが、大きくなったら、弟や息子にアドバイスしたように、孫達に心の方向性を示してやりたいなーと思ってます。

 そんなこんなで、また戯言を落としてしまいました。私は何者だろう、私の心はどう彷徨ってきたのだろうと、色々と思考して楽しんでいます。「澄んで、清々しいもの」を、ブログに落としてゆきたいですが、過去のもの(無くなってしまったもの)が醜さを忘れ美しいものとなってきています。そんな風な形で、ブログを進めて、これからの生きる価値を見つけたいと思います。

 下記の写真は、亡父が経営していた映画館です。小野市の内橋様と言う設計家が、大正時代から我が地で、役場や小学等々と大きな建築物を建てられた足跡を追っている神戸新聞の記者が、我が家にやってきて、亡父の映画館もと言うことで取材に来られて、提出した写真です。もちろん新聞記事にもなりました。

Sahoza
 「佐保座」と言います.大正中頃に建築され、町の娯楽施設と活躍していたそうです。戦後に、亡父が映画館として蘇らせました。昭和30年代は、私が子供ながらに見ていても、凄い映画館でしたね。

Daigeki
 「大劇」と名づけて、建物を看板形式で囲って本格映画館にしたものですね。新しいものに亡父も挑戦したのでしょう。新しく館内に風で暖房する施設(ボイラーを炊いて)を設置して、火災で全てを無くしてしまいました。残っていた内橋設計士の遺産も無くしてしまいました。神戸新聞の記者が、「残っていたら、町のシンボル的存在になっていたかもしれませんね。」と言った言葉が、胸に突き刺さりました。記憶には、それぐらい面白い建築物でしたね。


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