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共生心未発達問題

20012年12月28日天気は雨

 前の塵埃記は、孫達の未来を想像していますで戯言を落としましたが、孫達の未来は国や地球の未来ですね。そこで思い(戯言)が少し纏まりましたので、塵埃記を進めます。

 私は、「いじめ問題」と言う言葉を変えれば良いと常々思っています。「共生心未発達問題」とか「人間関係未発達問題」とか、もっと良い言葉がありそうですね。

 なぜかと言うと、「いじめ」は行為そのものが行われた問題ですね。実際は事件になる前に、沢山の差別的な心理的圧迫の空気が流れているはずですね。大人社会も一緒ですね(ただ事件性を抑えているだけ)。

 この空気が流れている状態から問題にしないと、根本的な解決方法はないと思いますね。共生する心が育っていないからですね。
 この学校、この教室、この職場等々は共生心(人間関係)未発達だから、改善しようと取り組むべきであろうと思いますね。「いじめ」が起きると想定出来た時点で対処すべきで、「いじめ」と言う行為を封鎖すべきだと思います。「いじめ」(事件や問題)が起きてからでは遅いですね。

 核家族化やマンションのお隣も知らないと言う地域社会交流の貧弱化が進んだせいで、共生と言う言葉が埋没して行くようです。ネット社会の発達もそのことを推し進めている感じも持ちますね。(ネット社会では「共有」と言う言葉がありますが、私はよく理解できていませんね。)

 この共生と言う言葉を思考すると、現在の国々の領土や領域の紛争問題や民族差別紛争の問題にも及んできますね。変なナショナリズムを煽って、紛争していますよね。地球環境の悪化に比べればと思考すると、人類の愚かさも感じてしまいます。

 孫達の未来では、世界規模で地球の環境改善に取り組まなければなりませんね。その為には、共存・共生する心を大きく育てなければならないと思います。

 地球の自然から学べば良いですね。多種多様な共存・共生から成り立っていますからね。その多種多様性も減少しているそうですね。心配の種の一つですね。

 我が国や隣国との領土問題も、新聞等から色んな解説を眺めますが、どうも自国がどう取り組むべきかが多いですね。過去の歴史を踏まえると、彼の地の思想はこうだからの対処法みたいな論説が多いですね。歴史を踏まえて、改善しうる新しい思想を発して欲しいですね。
 未来志向または地球規模思想から共存・共生の道を解説する学者が、多く出てきても良い様な気がしますね。
 
 紛争(虐め合い)を続ける人類(我が国)の未来は、素晴らしいものとはならない様な気がしますね。
 共生心未発達問題と言えるでしょうね。

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塵埃記(2012)」カテゴリの記事

コメント

呑気様 こんにちは
今年の最後に、これは格調高く結ばれましたね。
確かに「いじめ」という言葉一つをとっても、その結果だけに拘らずにその根っこのところから考察しなければならないとすると、言葉そのものも、最も適切なものを造語するか、選び直すかする必要も出てくるかもしれません。
呑気様御提唱の「共生心未発達」とか「人間関係未発達」という言葉も、かなり核心的なところをついている言葉のような気がします。

自分たちが子供の頃には、あんなに陰湿・粗暴・粘着性・金銭的欲望を伴った集団行為は、見かけませんでしたね。

これがこういう場合の一番根源的なことになるのでしょうが、近年、各個人は他人との「違い」を容認しにくくなっているのではないでしょうか。
言い換えれば人間のキャパシティが極めて小振りになり、同じようなものでないと、容認できなくなっているのではないでしょうか。
この多様性を受け容れられない、キャパシティの少なさがいろんな悪く表れる事案の根源にあるような気がして仕方が有りません。
「僕は僕、君は君で別の人、容姿や考え・行いが違っても当然だから、それをそのまま受け容れる・・・」ということの大切さを身につけさせることから教え始めるのが教育の第一歩かもしれませんね。

他人との関係が希薄になり、都合の悪いことには目を背けてしまえる人間が余りにも多くなりすぎました。

また、社会構造としては、そういう場の責任者たるべき人間の公徳心や責任感・自覚の無さも目を覆いたくなるほどです。

国際問題でも中世の十字軍のように異教徒を屈服させるようなあからさまなことはありませんが、それでも類似した案件はあとを断ちませんね。

仰言る様に多種多様性を受容することはしばしばつらいことが出てきます。
それを乗り越えるのが叡智と勇気なのでしょうね。

たとえば”ノアの方舟”になっても残された子孫は一時は選良であっても、またぞろ争いごとを生み出してしまうのですから、あちらの世界の人たちは所詮哀しい定めにある様ですね。

「いじめ」(共生心未発達)の問題一つとっても、日本人だけが特別にしっかりしているとは言い切れませんね。

論点がずれ始めてしまいました、これ以上はお手上げです。もう一度ゆっくり考えてみますね。

呑気様 良いお年をお迎えください。

投稿: ぶちょうほう | 2012.12.29 17:13

ぶちょうほう様・・素敵なコメントをありがとうございます。

「いじめ」から紛争・戦争と、人間社会からなくすことのできない問題を思考することは、大変難儀ですね。

 解決策があれば、既に過去の知的人が発表しているでしょうね。人間と言う種の持つ宿命みたいなものでしょうね。
地球上で頂点に達した種は、同じ種同士で争う様になっているのかもしれませんね。

ボチボチ頂点に君臨する違うものが現れてもと思ったりします。神(平和な宇宙人)がよいでしょうね。
その神にも、争ってゆきそうですね(笑)。

私も、この弱いものいじめを続ける人類のことを考えると、訳がわからなくなります。この辺で・・

投稿: 呑気おやじ | 2012.12.30 17:32

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