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我が地の栄枯盛衰の凄さを思う。

2008年6月4日天気は快晴。
 
 入梅を思わすお天気が少し続きましたが、夏日を思わすお天気になっています。塵埃記は、昨日の新聞を見て愕きましたので、「世風への思い」のカテゴリーで更新したいと思います。

 題名からですが、我が地では最大級の上場までしてる建設会社が、「再生法申請負債63億円」と言う見出しで、地方版ではなく、神戸新聞の経済欄に載りましたね。小生は、この建設会社の2代目社長には、大変に可愛がってもらって、ゴルフなどもよく誘われて遊んでいただきました。もう名誉顧問になられていると聴いていました。

 この5年ほどの間に、小生が懇意(ゴルフを通じて)にしていただいた大きな土建屋、建設、建設資材、造り酒屋や老舗商店が戦後栄えて2代目(小生と同じ世代)が継いでいましたが、田舎で大きく栄華を花咲かせた企業は、倒産、疲弊、廃業となってしまった現実を、我が地で見ています。
 我が亡き父から、戦後に我が地で初代が作り上げた栄光の話しを聴いています。その中でも上記の建設会社設立のオッサンは、我が地の立志伝中の人物だった様ですので、塵埃記らしく記したいと思います。亡父や亡き初代社長達は、あの世から、どう今の時代を眺めているのかと思いますね。

 再生の道に入った建設会社は、初代が作り上げた運送会社の子会社として我が地では最大級の会社でした。初代が作り上げた運送会社と言うのは、「日本運送」ですね。全国に名を馳せましたね。

 この我が地で立志伝中の人物は、戦中には荷車を引いて運送業を黙々とやっていた苦労人だったそうです。戦後まもなく、進駐軍から姫路の駐屯所にあった日本軍のトラックを払い下げてもらったのが栄光の始まりだったそうです。あっという間に日本運送のトラックが全国を走るようになったそうです。亡父が、「彼は、荷車を引いていたが、大変に弁論の立つ男だったなー」と言っていましたね。

 次の「日本運送」を継いだ2代目社長(建設会社の2代目社長とは違います。小生より一歳上だったと思います。))のことは、我が地に住居を構えていましたので、よく知っています。「日本運送」を起こした初代社長は、本妻には子供が出来ませんでした。2代目社長さんは、いわゆる「なんとか」の子供さんとなりますね。大変頭が切れたそうです。「日本運送」をさらに飛躍させようと、皆さんご存知の「フットワーク運輸」と改名して、宅配の先駆けとなり、栄華を極められましたね。
 我が地へ、本社からヘリコプターで帰って来られてましたね。そのヘリコプターが電線にかかり落ちたと言うニュースもありましたね。幸いに、低空で怪我人はなかったようです。
 また、あの世界最高峰のカーレースのF1にも、フットワークチームとして参戦されましたね。ですが、10年ほどだったと思いますね。脆くも滅んでしまいましたね。今は、オリックス(運送用トラックをリースで貸していた)が吸収してしまいましたね。2代目社長は、どこでどうしているのかはわかりません。
 面白い話では、初代社長のお墓は、高野山にあり、何億円と言う立派なものだそうで、2代目社長は高野山で、先代のお告げを受けて事業をやっていたそうです(ほんとかなー、なんですね)。
 この高野山のお墓は、誰がお守をするのでしょうね。そんな心配は、考える必要がないですかね。
高野山での豪華なお墓のご利益は、「諸行無常」と言う最高のお告げが与えられたのかもですね。

 建設会社は、そのフットワーク運送の子会社(フットワーク建設)として我が地で栄えていましたね。従業員が100人を越す会社でしたから、田舎ではNO1と言えましたね。フットワークが衰退した時に、名前を変えて独立して頑張られたのが、小生が知っている2代目社長(初代社長の血筋)でしたね。我が地では人望が厚く、商工会等々の役職やら、政治家達にも大変慕われた人物でしたね。

 小生は、この田舎の世風を想い感じますね。昔は、「栄華は3代続かない」とよく言われましたね。この戦後の時代を生きてきまして、田舎では3代目まで行けないですね。2代目半ばで、衰退していますね。都市部の変遷の流れのスピードが速いのは理解できますが、田園地帯の田舎がですね。商店街の商店主も、2代目または3代目は、ほとんどがサラリーマンとなっていまして、滅びの道を転げ落ちてますね。栄華もないが、農家の方達は変らず続いてますね。日本は農耕民族である証かもしれませんね。

 小生は、先祖の写真(初代から亡父まで3枚)が飾ってあるのでは、商い人としては4代目ですね。昨年末に廃業しましたので、商い人としては滅びましたね。初代が明治の中ごろに、武家の次男で仕事がなくて、明石から我が田舎へ行商にやってきていて、我が地に根をおろしたそうです。初代は苦労が多かったそうですが、2代目からは小さい商いですが、財をなして栄えたそうです。ですが、戦争で何もかもなくし、戦後に亡父が商い人の血を発揮して、映画館経営に乗り出しましたが、これも時代の波に呑まれてしまい、廃業となりましたね。
 でも、亡父は新しい商売に色々と挑戦していたのを子供時代に見てきました。昭和の30年代から50年代ですからね。なにをやっても、儲かっていた感じがしましたね。商店街も栄えていましたね。

 それを見てきた小生です。商い人を目指しましたね。その当事(昭和50年代後半から)の人気のある商品を扱って、改装、改名して昨年まで頑張ってきました。しかし、栄枯盛衰のスピードが速いのか、時代の変遷の流れなのか、商店街や小生の小さき栄華は続きませんでしたね。
 栄枯盛衰について、私事まで記してしまいました。どうまとめようかわからなくなってしましました。

 エイッ、グチャグチャになってしまいますが、2代目達の栄枯盛衰と言いますが、小生はその栄華を手にした者より、その滅びの会社で一生懸命に働いてきた社員達(兵士)のことを思いますね。彼らは、栄華の恩恵を同じように受けていませんね。いつの時代も庶民は翻弄されて人生を送らなければならないですね。その翻弄の中で生きぬくからでしょう。庶民人生の逞しさの中での、面白さ(栄華)もあるのでしょうね。この人生の面白さの発想は、価値観の違いですね。価値観については、後日考察して塵埃記にまとめてみたいです(忘れるかもです)。

 長くなり、まとまらなくなりました。政治家や官僚や現代の栄光を手にしている企業社長達に言いたいです。「次の栄枯盛衰は、あなた達の番(2代目多いですね)ですよ。国の経済や会社の経済も、大多数を占める庶民の動向で決まるのですよ。それを心に刻んで、庶民や社員の為のリーダーでありつづけ、栄華に溺れずに、切磋琢磨しなさい。」とぼやいて、塵埃記を更新することにしました。

 この田舎の栄枯盛衰も、小生が生きてきた、たかだか50年ほどに眺めてきたものですね。変らずに続く本質の流れはなになのでしょう。正義か誠実か・・・それとも・・??。
 深夜に軽4輪で走りながら、あれこれと考察することにします。

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