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自然も好きですが、庶民が大好き・・

2008年11月7日天気は雨。

雨の一日となりました。のんびりネットを楽しもうと思いましたが、仕事のことで思いが巡り「戯言」を落としたくなりました。

 新聞代の集金をはじめて、半年になろうとしています。
もうまわっているお家や、集金を頂く方達(田舎は、お婆ーちゃんが多いです)の顔が頭に浮かびながらの仕事となりましたね。
「ご苦労様です。」と言われるのが、10人の内に9人までが言っていただくありがたい仕事だなーと感じています。

 その上に、蕎麦畑やコスモス畑や素敵なお家のお庭の花達などを楽しんで、チョット時間的に余裕があれば林道を楽しんで仕事が出きるのですからね。手当ては大変に安いです(笑)。
 でも、考え様なんですね。仕事時間は小生の自由ですし、遊びながら(日々の散歩のついでに集金と)楽しむようにしています。
 冬に入ってきましたから、自然との遊びはダンダンと出来なくなりましたが、庶民とのお話(3、4分ですが)を楽しもうと思いますね。

 老人ホームも集金に参りますが、各部屋の老人達とは仲良く会話しています。ですが、若い支配人でしょうかね。ストレスが堪っているのでしょうかね。怒りっぽいですね(集金人を見下げていますね)。

 新興住宅やマンション、アパート系の若い方達のところも集金に参りますが、心の貧しい方達を、ちょくちょく見かけますね。不景気の反映でしょうかね。払いたくない気持ちを感じますね。自分達が購読している新聞の集金ですからね。もっと心を豊かにして欲しいですね。コミュニケーションが嫌ならば、自動振替えにすればよいですね。人を見下げる気持ちも感じますね。

 そんなこんなですが、庶民の気持ちを見ながらの仕事ですね。色々ありますが、小生は楽しもうと思いますね。玄関先を先ず見ますね。それから玄関に入りますね。庶民生活そのものを眺めるわけですね。靴等が揃っているかですね。子供達がいるお家は先ず無理ですね。ですが、揃っているお家もあるのですよ。素敵にお花を飾ったり、庭が綺麗なお家は、心が豊かな感じを受けますね。

 田舎のお婆ーちゃん達の話しも、目新しい話題はないのですが、庶民が腰を据えて暮らしてきたお話が多いです。同じと言えば同じなのですが個々の違いを見つけようとしますと、生きてきた住まいの様子やお話は新鮮ですね。

 集金の中で独居老人の方達も10数名ほどですが、いらっしゃいます。その方達が、「この前に、息子や娘が帰ってきてくれた。」と言う風なお話が多いですね。寂しいのでしょうね。庶民の老後は「寂しさ」の中で暮らしているかもしれませんね。小生はまだ、じっくりと聴いてあげるほどの集金人のプロにはなっていないと思ってますが、出きるだけ聴いてあげようとは思いますね。

 ふと思ったのですが、一番庶民の話しの聴ける業務についたと思っています。面白い話しが堪ってきています。塵埃記のカテゴリーに加えたくなりましたね。まあ、一年ほど経験すれば、思い出しながら、庶民の面白い話題でブログ更新が出来そうな気がしてきています。

 小室哲哉、ライブドアーの堀江等々と・・どんな放蕩三昧をやってきたのかは、テレビを見ていれば知ることが出来ますね(まあ、想像がつきますね)。
 生真面目で正直者の庶民の人生の刹那さや面白さは、個々の格別なところにあると、若い頃から思ってきました(学生時代にアルバイトで、出稼ぎの人達と飲み明かした経験からですね)。そんな労働者や庶民の心情や世界は、落語、漫才、演歌、フォーク、小説、テレビドラマ等々と一番に大衆に受け入れられて、ヒットしてきましたね。

 小さな庶民の人生ですが、自然と同じで風雨にさらされて歩いてこられたのでしょうね。
小生は、少しづつですが、感じ始めています。人生の晩年、特に終末こそ幸せであれば、総てが円満解決するのじゃないだろうかと・・ですね。
 それまでは、人生は苦楽の大河ドラマなんだろうなー・・とですね。小さな庶民のドラマは素敵だと思いますね(野草花のように)。
 やりたい放題の行動をとって、その尻拭いもできない連中が、自由を履き違えて謳歌している時代を感じますね。小生から見ると裕福そうに見えますが、お尻の周りは糞だらけで臭い連中に見えますね(笑)。

「糞をたれ続け、尻を拭きながらの人生ですが、最後も尻を拭いてこそ、幸せな人生になる」(駄)・・その最後の尻を拭いてあげるのが、家族であるとの思いが集金をしていて、また強くなりましたね。

 これから時代が進んで、集金と言う世界での庶民のコミュニケーションも無くなって行くでしょう。小生は最後の姿を見届けてやろうかなーとも思っています。また、対面コミュニケーションの新しい形の模索もしてみたいですね。

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コメント

呑気様 塵埃記は力が入っていますね。
昨晩、記事を読んで、すぐにはコメントに結びつきませんでした。
そのくらい、多岐に亘った内容であり、応答するのにプレッシャーのかかる記事だったかもしれません。
小生も、此処のところ体調を崩していますが、その中でポツリポツリとアルバイトの勤め先に出て、時たま垣間見る人間の醜さと、最低辺でなお、優しさを宿す言動の行える人種があることを再確認できました。

仕事を帯びると、途端に姿勢も声も高くなり、能面のような表情で、教条的な態度に明け暮れるのは、やはり「人間のクズ」の匂いがしますね。
対して、「ぼろは着てても心は錦」で、人間の温もりを宿す言動のできる人たちは、やはり良いお顔をして見えますね。

※11/07のhanako様の投稿画像は「吉祥草」(キチジョウソウ)が近いと思いました。

投稿: ぶちょうほう | 2008.11.09 15:52

ぶちょうほう様・・ありがとうございます。

深夜のラジオで、「心の時代」と言うのを聴いているとお知らせしましたね。
実は、そのことを塵埃記に記したかったのですが、自分の置かれた現実を記してしまいましたね。

●人間の自由の最後の拠り所。それは、 ある特定の状況において、自分の態度を選ぶ能力のことである。
               ヴィクトール・フランクル●

●ヴィクトール・フランクルはアウシュヴィッツ
からの生還者です。アウシュヴィッツ強制収容所のような過酷な条件下でも、最後の一切れのパンを他人に与えたりするような優しさを持つ人がいました。
つまり、いくら外的な環境が酷くても、自分の行動は自分で決めるという心の自由があるという非常に強いメッセージなのです。●

この哲学者は、アウシュビッツで人間とはと、克明に見つづけた学者ですが、人間は二つに分かれると言ってますね。極限になっても、人間らしく生きる意味を持つって、一切れのパンを他人に与える、それが人間だそうです。また他人のパンを盗んでも生き延びようとする野獣とに分かれると言ってますね。

そんなことを記したかったのですが、チョット勉強不足な感時でして、間違うと行けないと思い保留しています。

他人を見下す人がいると記してますが、小さな田舎町です。小生が黄門さんになることもあるのですよ。
集金に、やってくる日が違うとゴネテ払わなかった人がいます。小生のことを知っている人から、小生のことを聴いたのでしょうね。明くる日に奥さんが、「ゆるしてください」と我が家にわざわざ届けにきましたよ。

そんなこんなで、黄門様の気分も味わってますよ。

投稿: 呑気おやじ | 2008.11.10 16:50

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