« 知の共有・・社会。 | トップページ | 田舎のおやじが検索遊び・・ »

震災から12年・・

2007年1月17日天気は小雨。

 阪神・淡路大震災から12年が経ちましたね。私には、前にも少し記しましたが、芦屋で幸せに暮らした叔父さん達家族に大変な不幸が、襲ってきて、その後も続いていることを、記憶を刻み込む為に振り返りましょう。

 12年前のこの17日の明け方に、兵庫の真中の田舎にいる私達のボロ家も激しく揺れました。その後、眠ってしまいましたが、暫くして妻がテレビを見て、「お父さん、えらいことになっているわー、阪神高速がめげてるでー。」と叫びましたね。

 私は飛び起きて、そのテレビ画像を見ました。「おいっ、叔父さん達の近くやぞっ、電話してみーやー。」と妻に言って、電話をさせましたが、まったく通じませんでしたね。

 心配でしたが、どうすることも出来ませんね。テレビを見て、報道がどんどん悲惨な凄い状況になって行くのを眺めているだけでした。
 夕方になって、やっと電話がありました。叔父さんから「娘の長男が、家の下敷きになってもうたー。」と涙声の電話でしたね。甥っ子はまだ10歳の可愛い盛りを知っていました。
 生きていてくれと私は、すぐにお隣さんから、ポリ容器を沢山買いこみ、水を入れて車に乗せて出発しました。もう暗くなってましたね。

 阪神高速は走れないし、神戸市内には交通渋滞で入れない報道も見ていました。
 そこで私は地道を走り、有馬から船坂峠越えで行くことにしました。この峠は道路凍結で通れないことがありますが、強行突破することしました。通れましたが、ここも凄い渋滞でしたね。

 時間はかかりましたが、なんとか芦屋の「山の手」あたりの市街まで来ました。暗かったですが、まわりを見て驚愕しましたね。戦争映画でしか見たことがないような、家屋の倒壊やら、道路が壊れていると言う凄まじい光景でしたね。

 私は、若い頃に神戸の会社に勤め営業をしていましたから、芦屋近くの道路網には詳しかったから、壊れている道路を迂回しながら、上に阪神高速道路が走っている国道43号線までたどり着きました。ところが43号線は、まったく車が動かないと言う渋滞でしたね。

 そこでまた脇道に入り、43号線をいっきに渡り越えました。そこからは、もう地獄絵のような光景ですね。人々は、広場や運動場や公園に集まり、火を焚いて暖をとっている、その明かりだけが激しく目に飛び込んできました。

 公園の石畳に呆然としてしゃがみこんでいる人達を見ながら、日が変わる前ぐらいに、やっとのことで叔父さんの家に辿り着きました。叔父さんの家は、辛うじて残っていましたが、まわりの家はぺっしゃんこに崩れてましたね。

 家族の皆さんが集まっていました。叔父さんが、「孫が、孫が、死んでもうたー」と椅子に腰掛けたまま、動けずに声を発するだけでしたね。ポリ容器の水を届けると喜んでいただきました。
 それから、小さな布団の中で眠っている10歳の甥っ子の姿を、手を合わせて見ました。圧迫死だったのでしょう。どこにも傷がなく、眠っている様でして、私は涙があふれ落ちましたね。
 後ろから、亡くした長男のお母さん(従姉妹)が「マンションの一階に住んでいたのですが、2段ベットの上で寝ていて死んでしもて、その下にいた私達が助かった。」と、悲しみ泣くと言うより恐怖の震え声でしたね。

 また誰かが、「助けに行って、ドアを空けたらマンションの2階の部屋のドアやったんやー。一階がのうなってもてた。何時間もかけて、掘り出して助けたんやー。」と言ってましたね。
 恐らく、こんな恐怖を味わった家族は、いないだろうなーと思うぐらいの言葉を耳にしましたね。

 12年前の震災の夜の出来事でしたが、私にはまだ鮮烈に蘇りますね。明くる日から、救援に奔走する日々となりましたね。

「サナギ」をダウンロード
12年経っても、神戸は、まだまだこのサナギの様に落ちそうな感じで、羽化して羽ばたけない方達がいっぱいですね。

 その後の、叔父さん達家族は、事業も立ち行かず、一家は離散しまして、各地でがんばっているようです。

 長男を亡くした従姉妹家族は、恐怖体験から、暫くは芦屋に住めず、私達の田舎で3年ばかり過ごしました。その後、芦屋の県営マンションに移り頑張ってましたが、昨年の12月に従姉妹は、こんどはガンで42歳と言う若さで、長男の元へと旅だって行きましたね。私達の先祖の墓近くで、一緒に眠っています。

 不幸は不幸を呼ぶのでしょうか、悲惨な体験を乗りきってきた、その上にまだ孤独死が続いていますね。私の震災の思いは、悲しみと言うより怒りを、いまだに湧き上がらせてしまいますね。

 被災者意識は薄れていると思います。でも新たに、生きる力をなくして、寂しく1人亡くなって行く人達を生み出しています。震災当時の助け合おうと言う「優しい心」の復活も、この記念日で思い出して欲しいですね。

« 知の共有・・社会。 | トップページ | 田舎のおやじが検索遊び・・ »

アーカイブ3」カテゴリの記事