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仏世に人を送る。

2005年11月25日天気は晴れ。

 紅葉を追っかけた夜から、義兄(妻の姉の旦那)が急に体調か崩れ様子が悪くなり、明くる朝に旅だって行きました。昨日で、お通夜、葬儀と恙無く終わりました。

 私は本年は3月に母を仏世に送りましたが、そのあと、妻の父、妻の義姉の父、今回の義兄と、その上に隣保の大切な先輩先生、同窓生等々と沢山の親交の深かった人達とのお別れがありましたね。悲しいことですが、こればかりは人として必ずやってくる別れですね。


現世と仏世はこんな感じで一体なのかもですね。

 滞りなく葬儀を終えて、夜の会席まで時間がありましたので、一人で、義兄の家から車で少しのところの野池そばで夕日を眺めました。

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夕日の落ちるのを見ながら、仏世に人を送ることや、別れの悲しみやらを自分なりに考えてみました。

 田舎育ちの愚妻やら義姉や女性達(少し老いた)を見ていると、ある意味で感心することがあります。最後の別れとなる棺の中の人との別れは、悲しみを堪えきれず泣きじゃくっています。
 その後、火葬場へもゆき、全て滞りなく一切が終わると、笑顔をも見せて話し合っています。
 私はこれで良いのだといつも思い知らされます。別れの悲しみは悲しみと正直に表し、仏世にお送りしたあとは、明日からの供養為にと切り替えられるのですね。
 涙目にだけなり、悲しみを引きづっている私なんぞはまだまだ女々しいだけで、逞しさがありませんね。

 死と言うものを、爺さん、婆さん、また田舎のご近所の方達と沢山見てきて育ってきているのでしょうね。その見方も「これでゆっくり仏さんになって楽ができる。」と、そんな思想感を女性群にいつも感じますね。

 会席の時には、亡くなった人の悪口なんかも、懐かしそうに話し合いますね。たぶん私よりも先に仏世に行かれそうな方達が多いですが、遺骨の前で、「先に行って、ええ場所探しといてくれ、あとからすぐに行くからな。迎えにだけはくるなよ。」と話し合ってますね。

 ご詠歌や般若心経や簡易読経を空で覚えてらっしゃる方が多いですね。死や仏世に近いところでいつも生活されているのでしょうね。

 私は本年は色々なことがありすぎました。人生の節目の年といってもよいかもしれないと思いました。 
 そんなこんなで、私もぼちぼち死や仏世に、近いところで物事を考えて行こうと、田舎の葬儀に出ると、いつも思うのですがね。

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