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清貧の酔狂人よ、出て来い・・

2006年1月29日天気は快晴。

 もう1月も終わろうとしていますね。私は動けずに、ライブドア事件以降はパソコンの前で迷想状態で過ごしています。

 ネットの御友達と、この事件から「拝金主義」や今の世の中の虚業や飽食や政治家達の精神の驕りが進んでいる状態を話し合っています。そこで、私の呑気な思いを塵埃記に残しましょう。

 豊かな時代になっているのですが、なぜか金に追われている精神構造がつくられて、誰しもが拝金主義にならざるをえない方向に世が進んでいると思いますね。もっと贅沢がしたい、もっと遊んで暮らせる楽がしたいと欲求が膨らみすぎて、我が国は、金による競争社会を作り出しているのでしょうね。競争社会は必ず勝ち組、負け組を作りますよね。政治の基本は、こう言う争う社会にならないように税を取って、民衆バランスをとるためにあるのですがね(置き忘れてますね)。
 そこで、私は清貧の中の酔狂人が脚光を浴びることが必要な世になってきたと思います。

 山下 清(裸の大将)・種田山頭火(俳人)・棟方志功(版画家)・相田みつを(書家、詩人)・・私の好きな順ですが、清貧の中での芸術家ですが、その功績は、作品にとどまらず、人々の心をどれほど正しく導いたことでしょう。このような人達が出てこない世になりましたね。

 今の世は、芸術家も豊かになり、どうしても世に出て金や名誉を得ようとしている人達にスポットライトが当たっているようです。子供達もおそらく、そう言う刺激を受けて大きくなっているでしょう。
 まだまだ沢山の清貧の粋人(酔狂人)がいるはずです。マスコミももっと探して、光を当てよと言いたいです。金をあたえよじゃないですよ。

 酔狂人の酔狂(粋狂)ですが、ある雑誌のボランティア論争の中で、曾野綾子さんの「この世には酔狂と言う境地がある」と言うコラムの中で大変上手く表現されている一節があります。抜粋しましょう。
●私の好きな表現で言えば、ボランティア活動などやる情熱の本質は、酔狂以外のものではない。酔狂は元々正当に評価されることなど望んでいない。ただ心の奥底の個人の美学の流れに、常に洗われて存在している。全体主義などとは無縁の境地だ。●

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冷風の川原にほころぶネコヤナギ(駄)

 風が冷たい川原の、ネコヤナギを見たくて一人で歩きました。誰も見向きもしないです。呑気に「野の花追い人」と自分で言ってますが、酔狂なんでしょうね。
 私の酔狂は、辞書どおりに①酒によって浮かれること②ものずきなこと③好奇心の強いこと・・こんなものでしょう。

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