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人類は成熟できないのかも・・

5月17日天気は雨。

 さて本日もネットのお友達がおこしになりLogを押して日記などを拝見しています。
 そのお友達の中に医学研究者としてアメリカのアトランタでお仕事をされている方(流生のお友達に)の日記に触発されました。

 「アメリカの正義」と題して、南北戦争を取り上げて「黒人奴隷開放」と言う大義名分の戦いのようだが北部の税収確保の為の侵略戦争であったと詳しく説明されて、この度のイラク戦争も「独裁者からイラク国民を解放する」大義名分をうたっているが、石油利権確保であり、アメリカの侵略戦争は南北戦争いらい変わっていないと記されてます。
 そして、☆「我々はもう気付くべき時を迎えている。このイラク戦争に正義などない。イラク市民の開放など、侵略戦争を正当化するための大義名分にすぎないのだ。」☆と結ばれています。

 このコラムを読んで、私は子供のような思いがグルグル頭を巡りましたよ。
 歴史の浅い今世紀のアメリカの戦争を知るだけでも、戦争とはどう考察してもどう大義名分をつけてもどちらかにとっては侵略戦争に他ならないのじゃないだろうか。
 日本の昔の歴史の戦争の繰り返し、中国の太古からの闘争の歴史、それぞれ各国の自国の闘争の歴史、近代に至る植民地政策(まだ続いている)の侵略戦争の歴史等々を見ましても、少しも人類は成熟していないのじゃないだろうかと思わされますね。

 ただ私は、「今世紀の殺戮兵器を使っての戦争は止めるべきだ」と人類が成熟して欲しいです。
 と言うのは終りがなくなるからのような気がします。なぜなら殺戮兵器に人の血が通っていない。小銃にしても打ち放つだけ、爆弾(ミサイル)にしてもボタンを押すだけ、原爆なんぞ見境なしに総てを焼き尽くすのに遠く離れた母船の中のテレビを見ながら、こんな風に考えると少数のテロ集団でも戦えますよ。映画じゃないがアメリカの軍部の中枢がテロ集団になったらと思うと怖すぎますよ。日本の歴史の中で忍者の「草」というのがあり子供の頃からその地に暮らし中枢にもぐりこむことも可能ですからね。(子供ポイのが私の頭)

 昔の兵器(刀や銃まで)の戦争は人間同士の誇りや名誉や郷土愛をかけての戦であったと思います。人と人が相対しての戦いはそこに人の尊厳(刑罰があっても虐待は少ない)が感じられた戦争歴史(終焉してますね)を残してきたのでしょう。今世紀の戦争に命の尊厳なんて感じられるはずがない。やめなければならないと思います。

 アトランタのお友達と同じですね。もうぼちぼち我々も気付かないといけないと思いますね。

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