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母を看とる

 この3月7日に、母が旅立ってしまいました。享年88歳の天寿をまっとうしてくれました。昨日初七日の法要が終わり、一段落と言うことで塵埃記を母を看とると言うことですすめましょう。

 私達家族は、父が動けなくなり、ベッドで寝たきりになった状態で8年間と言う長い在宅介護を経験していましたが、父を送った後、母も寝込んでしまいました。2年ほどは寝たり、起きたりでベッドのそばですが自分のことは出来ていましたが、3年ぐらい前から歩くことも出来なくなり、病院と在宅介護の繰り返しでしたね。

 本年の正月あけから、体調が悪く、また病院にお世話になりましたが、この2月25日には元気になり、また在宅での介護をしていました。しかし3月5日頃から食事がすすまなくなりました。普段はベッドを起こして食事だけは自分で食べていましたが、食べさせなければ食べなくなってしまいました。妻と「困ったなー」と言いながら、3月7日の夕方に、ご近所の係りつけのお医者様に来ていただきました。お医者様は「熱もないし、どこも悪くはないようです。ただ老衰がすすんでいます。無理に食べさすよりも、栄養のある食事を私が用意しましょう。」と言うことで、缶詰の中に食べやすい栄養が入ったスープ状の食事をいただきました。

 私は安心をして、いつもの居酒屋へ友人と飲みに出かけました。7時過ぎに帰ってきて息子とテレビを見ていましたが、7時40分ごろに妻が目に涙を浮かべながら「おとうさん、おばーさんが・・」と叫んで私達を呼びに来ました。私が妻に「どうした」と言うと、妻が「呼んでも目を開けないのですよ。」とでしたので、飛んで母のそばに行き、3人で「おばーさん、おかーちゃん」と大きな声で揺り起こしましたが、母は「あっ、・・」と小さく声をあげてくれましたが、顎が落ちて小さく口を開けてぐっすりと眠ってしまったようになりました。すぐにお医者様を呼びました。「母が目を開けないのですよ。」と言うと診察中も「おかーさん」と呼んでいましたが、お医者様が「もう、呼んでも無駄ですよ。8時10分。ご臨終ですね。」と言われました。

 私達は長い在宅の介護で母をそばでズート見ていましたから覚悟は出来ていました。妻は涙ぐんでいましたが、息子にご近所の身内に連絡させて、来てもらいました。今後のことを話し合ったり、母を見送ってくれたり、身内の女衆で、母の体を洗い、着物を着せて、ベッドから北枕の布団へと寝かしつけました。あっという間に時間がたっていました。明日がお通夜で、明後日がお葬式と言うことで、大変だからと皆さんが帰ったのはもう8日の0時を過ぎていました。

 妻と息子は、今後の我が家での接待の準備でごそごそしていましたが、私は母のそばで、母と二人で話をしましたよ。母は昔堅気の父のお守役と、男ばかりの3人の兄弟を育て上げるのに苦労ばかりだっただろうなーと話しましたよ。あまりの辛さに心病を患ったりもしましたからね。在宅で介護をしている時も、我妻に「迷惑ばかりかけるから」と寝込んでいても悩んでいたようですよ。そんなこんなを思い出していると、安らかに眠っている顔を見ると「おかーちゃん、やっとゆっくり休めたようやなー」と言葉には出ませんでしたが、心の言葉が漏れ落ちてしまうぐらいの穏やかな顔で、動かずに眠っていましたね。

 私は、これで親二人を看とったことになりますが、死は決して辛く悲しいものでもない、まして怖いものでもありませんね(死はある意味で、エネルギーを使うと言う現世の苦しみからの脱却でしょうね)。天寿をまっとうすること(生きぬくことが)が大切なことで、そうすることが次の空間に安らかに歩みをすすめて行くけるのだろうと思いましたね。必ず訪れる道を受け入れて正しく歩いて行けば良いと、また思いましたね。
 葬儀の後の、ご臨席の皆様へのお礼のご挨拶にも、「残された私達も、皆様のご厚情におこたえして、こらからも正しい道を歩んで行きたいと思います。どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。」と結びの言葉にしましたね。(正しい道は、一番簡単な道だと思っています。人の道は言い尽くせないほど、過去に解き明かされています。)

♪あっと一声別れの前にありがとう♪・・
 この塵埃記を記していて、あっと小さく聞こえた母の声がまだ耳に残り、駄句にしてしまいました。私の時は、「ありが・・」ぐらいまで声を発したいと思いますね。

saidann
本日(3/13)はこれから4月24日の四拾九日の法要まで毎晩、母が仏様のそばに歩んで行けるように後押しの応援歌のご詠歌を歌います。我が地の田舎ではごく普通の祭壇ですね。
死者の祭壇を掲載するなんて、呑気おやじですね。

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コメント

おやじさま、お母様を看取られたのですね。
お話を読んでいて、人の死に対して
かなり敏感な私は涙がでてきちゃいました。

でも、途中からおやじさまが書いていた
「死は悲しいものでも辛いものでもない。
まして怖いものでもない・・・」
というところにきて、涙がとまりました。

確かに「死」は別れではあります。
別れは悲しいものだとも思います。
けれど、「死」は誰にでも平等に訪れる
最後の優しい時間かもしれません。

お母様、天寿を全うされたんですよね。
「あ」という言葉に続く思いをおやじさまは
これから先も大切に抱きしめて、歩んでいってください。
安らかなお顔でよかったですね。
天国できっと先に逝かれたお父様と
お離ししていることでしょう。

おやじさまもお疲れさまでした。

投稿: 理桜 | 2005.03.14 10:27

理桜さん・・素敵なコメントをありがとう。
「別れ」は悲しいものですね。

特にお若い方達や子供さんの死は、「別れ」の方が強烈に印象づくでしょうね。
でも死は旅立ちなんですよ・・まあ暫くは会えないところに行くのでしょうね。
でもズートそばにいるかもなんですね・・仏壇や写真やお墓で会えるのですね・・お話は生前よりも素敵な会話になるのですよ。

死を受け入れる一つの考え方でしょうね・・他にも色々と死を受け入れる考え方はあるでしょうね。

投稿: 呑気おやじ | 2005.03.14 10:58

拙い短歌ですが、トラックバックさせていただきました。

それとごめんなさい。
話す・・・が離すになっていて。
すごい誤字です。あってはならない誤字です。

でもおやじさま、元気そうで安心しました。
旅立ちの季節です。春の訪れとともに
旅立つ人たちを温かく見送ります。

投稿: 理桜 | 2005.03.14 22:23

最愛のお母様のご逝去、お悔やみ申し上げます。

「死は悲しいものでもなく辛い物でもなく恐れる物でもない」
そうなのかも知れませんね。まして天寿を全うした人に対しては。
でもこの言葉を口に出来るのは「心から看取った」人が言えることのような気がします。
私などまだまだ未熟です。そのような心境に成れるよう努力します。
今のままではきっと後悔が残る・・・
良い勉強をさせていただきました。

投稿: bonmama | 2005.03.17 02:35

死はある意味で
エネルギーを使うと言う現世の苦しみからの
脱却でしょうね
天寿をまっとうし者への素晴らしい送り言葉と感入りました
合掌

投稿: りぼん★ | 2005.03.18 21:28

お母様はきっと安らかに旅立たれたのでしょうね。だから のんきさんや奥さんも やるだけのことはやったと言う安堵感みたいなものがあるのでしょうか。
介護保険や在宅介護の不備をつい声高々に言いたくなるのですが、家で安らかに眠りにつけると言う事は 家族が家族の死を見つめるのには一番なのかもしれませんね。まだまだ寒い日もありますので体をご自愛ください。

投稿: natukan | 2005.03.22 20:53

●bonmamaさん・・お悔やみの言葉をありがとう。
自分達の出きる範囲のことだけをしただけなんですよ。

●リボンさん・・ありがとう。母を見ているとそんな感じを受けただけなんですよ。

●natukanさん・・お悔やみの言葉をありがとう。
色々ありましたが、田舎では在宅介護が今のところも一番のようですね。

投稿: 呑気おやじ | 2005.03.23 15:04

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