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心が邪魔をする。

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本日(12/4)は西方寺の御詠歌です。

 ネットのお友達のからまわりさんと、映画論から鬼才監督へと自称ダメ男達が色々と愚頭を使ってお話しましたが、行きついたところが「心」まできました。

 からまりさんから、解剖学者の養老猛先生の講演の中から「心には個性は宿らない」との説をだされて、心に個性がないからこそ論理が使えて、普遍の理屈が存在するのだそうです。理屈の一つ一つに個性があったら、推論が飛び抜け過ぎているので一般の理解を得ることは不可能になってしまいますねとお話頂きましたね。

 そう考えてゆくと鬼才や天才と言っても心が個性的ではなく、技術や技法が個性的で優れていることになりますね。人間の個性は持って生まれたもので顔(身体)に一番良く現れる(養老猛先生)から、イチロー打撃技術やヨン様の笑顔等々と身体的な個性であり、文学や絵画も頭の使い方や描く技術での個性であって心が個性的ではないのでしょうね。

 そこで私はイチローがテレビで語った言葉が頭に浮かびましたね。イチローはああし様、こうし様と色々と心が動くのを球場の看板等をボーット見つめて、揺れる心を無心にして意思に関係なく身体だけが反応した時に一番結果が良くなるし、そう努力していると言ってましたね。昔の剣豪の達人の域なんでしょうかね。心が邪魔をしているのですね。わかるような気もするのですが、どのようにこの域の技術を表現したら良いのでしょうね。イチローにも言葉にして表現できない領域なんでしょうね。世界のトップアスリート達が無心と言う言葉をよく使いますね。

 なんか頭がこんがらがってきました。現在の諸々の問題で我々は心が病んで来たり悩み苦しんでますが、心には個性は宿らないと考えると皆が同じ心で過ごしていることになり、自分だけが不幸だとか、自分の心は貧しいとか悩むことはない所へ行けますよね。ああっもう結論のところに行けない状態になりました。書き綴ってきましたが、私には「心」については到底語れないところに着てしまいました。この辺で・・無の境地に入れない呑気でした。

 

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