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差別問題の講演を聴いて・・

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本日(8/30)はガガイモの花と実です。

 昨晩、人権問題の同和研修と言うことで、45歳ぐらいの公立の小学校の教師をしている人の講演を拝聴しまた。
内容は、子供の頃から部落差別を感じていたが、実際は大学や社会に出てから色々と経験したそうです。
彼は自分が差別部落で育ったことを隠して大学、社会を過ごしてきた中で色々な問題を差別する側の中に入って聞いてきた経験を話していましたね。その時に「自分は差別部落の者だ。」と言えなかったのは生きて行くために仕方ないことだった説明して、この問題は差別側、される側の両方に精神的な苦しみをもたらす問題であると結んでいましたね。

 私はこの問題も、今またいじめが低年齢化して増えている問題とリンクしてしまうのですよ。
なぜなら「いじめ」は多数派が少数派を排除することから始まるような気がします。少し障害あり皆と違う、また成績が優秀な人も少数派に入ってしまうことありますね。差別問題もどんな歴史があったのかは詳しくはわかりませんが、国策で少数派をいじめる(隅に追いやる)ことで社会のバランスをとろうとしたのじゃないだろうか。
 ですから我々多数派はいじめつづけてきたわけですね。少数派の差別されつづけてきた人達の心情やいかになのですが、現代ではいじめつづけてきた人達の心情も辛いものが押し寄せてきているのですね。
 個や人として相互理解を深めるしかないかもですが、成熟してきた社会では新たな差別が生まれてきているように思いますね。

 今も戦争が続いているし、人種問題で対立していますが、これもある意味で多数派が少数派をいじめているのじゃないだろうかと思うのですよ。多数決で決めると言う民主主義の盲点みたいな気しますね。民主主義の成熟した国ほど「いじめ」や「差別化や貧富の差」がどんどん進んでいるのじゃないかと思いますね。(国連は真の多数決になっているのかなー)

 基本的人権を確立する方向に行くべきだと思いますね。個人の人権を最優先する、多様な社会や世界を容認する様な教育や思想を作り出すことをもう一度考えなくてはと、昨日の講演といじめが増えていると言う新聞を読んでの、本日の塵埃記ですね。

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