呑気な丹波の紅葉情報・・

2009年11月10日天気は小雨降る・・

 昨日は休刊日でした。前の夜は友人達と飲み明かしました(休刊日前は恒例となりました)。昼前に起き出しまして、空を見ました。雲が多かったですが、晴れていました。「よっしゃーっ、久しぶりに一人ドライブじゃ・・」とデジカメ積んでドライブですが、季節は紅葉シーズンですね。身近なところの紅葉情報を検索して出発しました。

 丹波の山南から、篠山に入り、武田尾、有馬と走りきってやれと頭に浮かべて出かけましたが、朝からなら何とかなったのですが、昼過ぎに出ましたので、篠山で日暮れを迎えてしまいました。お遊び情報と言うことで、デジカメ機能の中にパノラマと言うのがあります。荒い画像ですが、小生が眺めたままの紅葉情報(11月9日現在)と言うことで塵埃記を進めます。お寺の説明は、ネット検索してくださいね。
それから、画像のコントラストを少しだけ強くしました。実物より赤が少し鮮やかになっているかもです。

石龕寺・・兵庫県丹波市山南町岩屋2
先ずは、紅葉では有名なところです。
「石龕寺の紅葉」をダウンロード
 まだまだこれからと言うところでしたね。それと真っ赤に色づいているものもありましたが、鮮やかさを感じることが出来ませんでした。それから笑ってやってください。この画像が、パノラマ機能を初めて使いますので、上手に出来ませんでした。画像が重なってしまいましたね。「色づいていると綺麗」なんですがね。ちなみに参道を歩くのに300円が要ります。沢山の紅葉が楽しめますね。

大国寺・・兵庫県篠山市味間奥162
次には、小生が大好きな小さな山寺の紅葉です。
「大国寺の紅葉」をダウンロード
 3枚のパノラマですので、山寺の全体が入ったと思います。色づいていますが、旧年に見た鮮やかさが出ていない感じです。ここのモミジは素晴らしい赤なんですがね。
 では、裏から見た紅葉で「眠り地蔵」です。この山寺で、この風情も大好きです。
「裏から見たパノラマ紅葉」も追加しておきましょう。まだ少しパノラマが失敗気味ですね。

 次に向かったのが、知る人ぞ知ると言う洞光寺なんですが、ほんとに小さな山寺でして、篠山の山手の方を捜し走り回りました。その途中で素敵な山紅葉を見ましたので掲載ですね。
「篠山の山紅葉」をダウンロード
まだまだパノラマが確り出来ませんね。まあ風情だけでもお楽しみください。

洞光寺・・兵庫県篠山市東本荘301
道端のお爺さんに聞きました。それでも間違ってしまいました。「そこを入ると寺が見えるから・・」と言われたのですが、見過ごしまして、奥へ奥へと行ってしまいました。もう午後4時です。天候も悪くなり日暮れ時のような明るさでしたね。
「洞光寺の紅葉」をダウンロード
 こんもり模様の小さな紅葉ですが、「うーん、いけるじゃないか・・」と思いましたね。「こんもり紅葉」に近づいて眺めました。晴れた日にじっくりと眺めたくなりましたね。

 もう日暮れとなり、飛ばして帰ることにしました。帰り道で大山茶花が見たくなりました。
西方寺・・兵庫県篠山市今田町今田新田82
樹齢600年を超える大山茶花が、小さなお寺ですがあります。日暮れでフラッシュを使いました。
「西方寺の大山茶花」をダウンロード

 駆け足で紅葉を楽しみましたが、本年はもう楽しむことは出来ないと思います。でも身近なところでも紅葉は、沢山楽しめますね。仕事ついでに探してみましょう。でも、林道を走って、山のまだら紅葉は行って見たいですね。「さてさて行けるかなー」と落として、本日の塵埃記を閉じましょう。

デジブックを追加・・紅葉を沢山デジカメ遊びしました。ネット遊びがどんどん増えています。
デジブックでアルバムを作りました。まだまだ素敵なアルバムにはなりませんでした。色々遊びながら、素敵な草花アルバムやムービー的な画像編集を楽しみたいです。音楽が鳴りますよ。ご注意ください。

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秋の里をぶーらぶら・・パート2

2009年11月7日天気は快晴・・汗ばむ陽気です。

 さて、仕事もどんどんこなしていますが、里の秋模様も我が田舎をぐるぐるまわって楽しんでいます。題名通りにぶーらぶらと塵埃記を進めましょう。

 数日前には、凄い寒波が押し寄せて冷え込みましたが、この2、3日は雲ひとつなく晴れ渡り、天高くなんとやらで、秋の空を眺めましょう。「渡り鳥」が、何鳥なんでしょうね。渡ってゆくのか、渡ってきたのか、小生にはわかりませんが、素晴らしい眺めです。また野池に参りますと、いろんな鳥達がやってきています。空を見上げると、この野池で遊ぼうかと言う「渡り鳥2」が、ぐるぐる周辺を飛び回ってますね。ちなみにピンボケの山を築きました。

 野池を出て、里の山道の秋を楽しみましょう。「キセルアザミ」が、まだまだ元気です。「ムラサキシキブの実」を見つけました。「サンキライ(山帰来)の実」「ヒヨドリジョウゴの実」は、山道のいたるところで赤合戦を演じる秋を眺めることが出来ますね。
 山道で、「アオミズ」と言う草花に出会いました。見過ごしていたのかもしれません。

 田園地帯の農道や畦道の秋風情をと、ぶーらぶらして見ました。「フユノハナワラビ」がすっかり小金色になり、日を受けてキラキラ輝くようになっていました。また畦道に大変増えてきました「アメリカキンゴジカ」なんですが、此花はいつの時間帯でも花が開いていると言う草花ではないようです。枯れ草のようですから、誰も見ようともしませんね。やっと花が開いているときに出会うことが出来ました。
 休耕田や雑地を眺めますと、「センナリホウズキ」の花が咲き乱れてます。

 ぐるぐると草花達に遊んでもらってますが、本年は「あらら・・」と声が落ちることがよくあります。初夏に咲く草花が、元気にまた綺麗に咲きあがっているのに出会いますね。野池には、「タカサゴユリ」が、ぽつんと一花、草丈も低い状態で咲いていました。また、川原の笹薮よこでも、ぽつんと一花ですが、「ハナウド」が、みごとに花を咲かせていました。ホトケノザやハコベやナズナと春の花が咲いています。初夏に咲く「グンバイナズナ」も確りと咲いていましたね。
 前のブログ記事の野のキキョウが咲き乱れているのも変な感じなのですが、温暖化による気候の変化なんでしょうか、不思議な感じを受ける秋模様も楽しみましたね。

 農家の周りをぶーらぶらして、本年の一番の柿の木を探してみました。青空に栄えた、この「柿の木」が、今のところNO1としておきましょう。ゴルフ場周辺で楓の紅葉を探しました。もう真っ赤に色づいていますが、美しいものがなかなか見つかりません。冷え込みで赤くはなっていますが、いまいちですが、小さいですが綺麗な「モミジ」も見つけましたから、貼り付けて、秋の里のぶーらぶらとして、閉じましょう。

 あっ、ジャイアンツが日本一になりましたね。米国ではヤンキースと、本年は人気NO1の名門チームが優勝しましたね。松井選手の活躍と言い、何か因縁があるような気がしますね。

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秋の里をぶーらぶら・・

2009年11月2日天気は曇りのち小雨・・

 月末から月初めとスーパーカブに乗って仕事をしながら、我が田舎の里の秋を楽しんでいました。本日も仕事があるのですが、雨模様でしてやめることにしました。久しぶりに思う存分キーボードを叩いてやろうと思います。里の秋を全部は紹介できませんが、小生が印象に残った画像を掲載して塵埃記を進めます。

 先ずは、兵庫県レッドデータランクCと知った「ミズオオバコ」を小さな田圃の横の溜池に見に行きました。沢山咲きあがっていました。水中のオオバコの様な葉模様も面白かったです。その溜池そばの農家のお庭で、「十月桜」でしょうね。3部咲きぐらいの木模様を眺めました。秋なんでしょうね。

 十月桜を眺めて、この近くの里山の山道に「キッコウハグマ」が咲くのを思い出しまして、見に行きました。沢山咲いていましたが、此花は明るいところには少なく、日陰模様で咲いているようでして、ピンボケの山を毎年築かせていただき遊ばれる草花ですね。此花と遊んでいるときに、枯葉が飛んだような蝶に出会いました。検索すると「クロコマノチョウ」だとわかりましたね。枯葉が舞う様な蝶・・秋なんでしょうね。

 キッコウハグマの里山で、「ヤブコウジの実」を楽しみましたので、そうだ雑木林へ大好きな「ツルウメモドキの実」を探しに行きました。まだまだ赤い実が弾けていませんでしたが、ぽつぽつと素敵な姿を見せてくれましたね。赤と黄の小さな秋なんでしょうね。このツルウメモドキの実が大好きで年中部屋に飾っていると仰っていて、ネット交流中に亡くなられた秋田のお友達を思い出しましたね。

 田園地帯もぐるぐると走ります。小さな休耕田が点々と「秋桜畑」となって楽しませてくれます。ほぼ満開となりましたので、カブをとめてデジカメでコスモス遊びですね。カメラマン気取りで、「コスモス」花を眺めます。空をバックにしてやれと田圃土手下から「コスモス2」を撮ってみました。秋遊びなんでしょうね。

 里の秋の最終章の花達を楽しもうと、ヤマラッキョウの群生している土手に行くことにしました。なんと初夏から夏の花の「野のキキョウ」が元気に咲いていましたね。好きな花ですので、近づいて眺めていますと、面白い「重なりキキョウ」を見ました。八重咲きと言うのがありますが、ちょっと違う感じも受けましたね。「ヤマラッキョウ」「アキノキリンソウ」もみごとに群生咲きしていまして、明るい陽光に照らされているのを楽しみました。最終章の花達も秋真っ盛りなんでしょうね。

 農家のお庭やお寺の庭では、「ツワブキ」の季節となりましたね。また沿道の並木では「銀杏」が「秋ですよー」と綺麗な黄色を演出してくれてます。いずこも秋なんでしょうね。

 そんなこんなで、里の秋を楽しんでいますが、これから里山は紅葉の季節となり、秋の最終章模様から冬模様の景色を楽しめますね。そんな中で、野の小さな花達の秋模様の代表は野菊ですね。どこへ行っても「ノコンギク」が咲き乱れています。里山では、「リュウノウギク」も咲いていました。違いがわからなかったのですが、ネット草花の師匠に教えてもらいました。
 その他の野の小さな花達は、スライドショーに掲載しましょう。

 農家のお庭では、菊花展に出展する大菊達が揃ってきました。デジカメをもって仕事で訪問しようと思っています。我が心も秋模様なんでしょうね。まだまだ里の秋模様は続きますと記して、今回は閉じましょう。

 一言戯言を追加・・四季の中で一番長い季節は、秋かもしれないですね。夏の終わりから涼を欲しがり秋を待ち焦がれます。また寒い冬の訪れは、遅い方が良いと思います。必然的に秋が長くなるように感じますね。
 

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私と県立社高校野球部OB会

2009年10月23日天気は快晴。

 この10月17日に、久方ぶりに野球部OB会の宴席が開催されました。長きに渡り社高校野球部を指導し、選抜出場から、春の県大会優勝と近畿大会優勝と素晴らしい成績を残した森脇監督が勇退し、後任橋本監督の壮行と言うことでの宴席となりました。近隣のOB達(70数名)が集いました。

 私は約30年間ほどOB会に関わってきました。そこで私とOB会と言うことで塵埃記に残しておきたくなりました。OB会の歴史を知り得るところを記しておきたくなりました。

 社高校野球部は、昭和23年ごろに石ころだらけのグランドで、1回生の人達から始まりました。小さな田舎町に硬式野球部が誕生したのですね。町の商店街の人達の助けによって作られたことや、時の地元県会議員(石井さんだったと思う)の野球好きもありまして、瞬く間に強豪となり、10年後には、近鉄、阪神で活躍したプロ野球選手も地元商店街からでたことで、地域で大変な人気を得る野球部となりました。現在も地域で一番愛され、誇りにされているのが野球部ですね。

 私の現役時代(昭和40年代、16回生)までは、商店街の人達が後援会となり、野球部員が商店をまわって後援会費を頂いて、ボールや野球道具の補助費としていました。この後援会からOB会となって行ったのですね。

 私が30歳になったころに(昭和50年代)、社に舞い戻りまして亡父の家業を継ぐこととなりました。当時も後援会として、その中にOB会が存続すると言う形でした。後援会長もOBではなく、中村敏明県会議員でした。その補佐に、社高校野球部をこよなく愛した藤本さんと言う薬局を経営している方(社高校野球部の監督経験があり、当時は町会議員)がいました(二人は旧制小野中学卒)。この藤本さんと中村県会議員が、私に「後援会の世話を手伝いなさい」と命令されまして、後援会の中にあるOB会を会長として、お守りすることとなりました。
 
 あくまでも後援会ですので、必然的に中村県会議員の事務長的な仕事となります。藤本さんも町会議員です。私が政治の世界を知ることとなりました。長期(約7期)の県会議員で北播のドンと言われた有力代議士です。
 私も何度も選挙戦に携わることとなりました。OB会長と言うより県会議員の秘書と言った感じでした。

 その後、北播のドンも年齢に勝てずに県会議員を退かれました。後援会をどうすると言う話になりました。私は、「もうOBも沢山増えました。OB会を独立させましょう。」と藤本さんに進言しました。後援会は、自然消滅となりましたね。

 藤本さんと会社経営のOBと商店街での飲食店経営のOBが指揮系統の中心となってOB会を運営することとなりました。(昭和60年代から、平成初期)
 私の大先輩ばかりです。名は会長ですが、事務長でしたね。後輩の会計担当と二人で、事務的な運営を担当させていただきました。

 OB会にも人間模様でいろんなことがありました。しかし私は、継続こそが力なり、OB会が強大になる必要はない、OB達から送られてくる寄付金は、全額を後輩野球部の為にとの思いから、できるだけ会を小さく運営してきました。組織化して(出来なかったです)、OB会自体に経費を使うのをためらったと言うより、まだまだ寄付金額が小さく、野球部の手助けぐらいでしたから、私と後輩会計と二人で、OB会の経費なし状態でお世話するのが、一番長続きすると思いました。
 藤本さんも会社経営OBも、甲子園出場を見ずに他界されました。飲食店経営のOBも病に倒れられましたね。私と会計担当と二人で、細々ですが、OB会のお世話をし続けていました。

 その数年後の5年前に選抜出場です。その時の寄付金の多さも凄かったですが、寄付金や甲子園での手助け仕事に参加する若いOBの数の多さに驚きました。私と会計担当二人では、とてもOB会を切り盛りすることは不可能でしたね。身近な地元に後輩がいなかったこともありますが、先輩ばかりの選抜出場への、OB会運営は壮絶を極めました。親友の役場の職員(後に、我が町最後の町長となりました。)を動員しました。彼が事務的なことをやってくれなかったら、どうなっていただろうかと振り返るぐらいですね。

 選抜ベスト4と言う成績を残し、無事に甲子園行事が終わりました。あとの処理が残りましたね。重鎮達の「OB会への寄付金(一般の人達の寄付金は総て、OB会もほとんど学校に)は、一部を残しておけ・・」でしたが、私は極小に抑えました。「残務を誰がするんじゃ。」の思いがありましたからね。極小で正解でした。残った寄付金は、OBでもある森脇監督が使途を判断すれば良いと私が決めました。まあ、私は金にまつわるのが大嫌いでしたから、大正解でした。

 森脇監督(社高校野球部で、約22年間ぐらいでしょう)によって、県の強豪校であり続けた上に人気が高まり、沢山の部員がやってくるようになり、卒業生の数もどんどん膨れ上がり、OBの数は800人近い状態となりましたね。私がOB会長を受けた時には、150名ほどだったと思います。OB会の宴席を設けても、最大で15人が集まったぐらいでした。

 大変大きくなって来たOB会です。私はぼちぼち組織化しないといけないと思い出しました。グランド改修や甲子園出場記念碑等々と次から次へと、OB会が携わってゆきましたが、森脇監督に一任していまして、これも無事に完成祝いを済ませることが出来ました。野球部の成績も、春の県大会優勝や夏の大会ベスト4と言う、素晴らしい成績を残してきていました。

 私は、若いOB達から、「僕らが組織化してみます。」との声が出ないかと待ち焦がれていました。そこへ森脇監督から、「監督を後進に譲りたい。」との言葉を聴きまして、「よっしゃー、OB会長も一緒にじゃー。」と近隣の後輩達に告げました。
 ある晩に、OB会の件でと、近隣の後輩達数名が居酒屋へ私を呼んでくれました。私は、「森脇監督も50歳半ばになっている。もう教え子が社会で活躍している。OB会を組織化するのは、彼より年下の後輩がやるべきだ。」との意見を述べました。

 日を変えて、また居酒屋でOB会の件で後輩達と、今度は森脇監督を交えて話をしました。「森脇監督をアドバイザーとして、僕達が、OB会を組織化してみます。」と言ってくれました。「ただ、一挙に会長まで退かれると、僕達は若すぎます。名前だけは、暫く残してください。」との懇願でした。
 会長、副会長、事務長、役員、顧問(アドバイザー)と確りと名前が記してあるメモ帳をみまして、「ああ、これで二人だけでお世話してきたOB会が大きく成長するだろう」と了承しました。
 私は、「名前だけだぞ、今度の宴席の準備も一切タッチしない。また私に一言も相談はいらない。君達のやりたいようにやりなさい。」と名前だけの会長に昇進しました。

  私がお世話をしてきたOB会から、やっと若い後輩達がOB会に携わってくれるようになりましたね。これで大きく発展してくれると思いますね。野球部誕生から丁度60年を超えたところですね。OB会も実質的には30年になろうとしていますね。この前の宴席での若いOB達の自己紹介を聴いていますと、各地で素晴らしい社会人になって活躍している兵(つわもの)ばかりでした。これで安心と言うより、会長も若い人達が引き継ぎ、私は重鎮の仲間入りをしたいですね。

 正確な年代を記せないですが、私の頭の中にある社高校野球部OB会の歴史を綴りました。これに肉付けできる草創期のOB達がぼちぼちと欠けて行きだしました。私もですが、老いたOB達と野球部の歴史の話をする宴席を設けるのが、私のOB会としての次の仕事となったかもですね。

 私は、草創期(約15年)、色々ありながら期、森脇監督期(約20数年)が、県立社高校野球部の今までの歴史の骨格だと思いますが、終わりがないですね。夏の甲子園出場に向かう野球部、またOB会と言うことで、どんどんと素晴らしい歴史を積みかせねて行くでしょうと結んで、閉じることにしましょう。

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里山の花達も最終章に・・・

2009年10月17日天気は晴れたり曇ったり・・

 身近な里山や農道や林道の自然を楽しみながら日々を過ごしていますが、昨日に一番よく楽しむ三草山山麓辺りを歩いてきました。秋の草花を捜し歩いたと言った感じでした。まだまだ咲き出したところですが、しゃがんで眺めた花達は、小生が今まで追ってきた経験上からは、最終章の幕開けと言った感じを受けました。

 先ず探しましたのは、「センブリ」でした。まだまだ蕾ばかりで、草丈も低いものばかりでしたが、花が開き出した1株を見つけました。センブリどころか、ヨンブリぐらいですね。

 続いて、「ヤマラッキョウ」なんですが、此花は群生する場所を覗いてみました。まだまだ蕾ばかりでしたが、少し花姿が見える一株ですね。
 上記の花達は、これからこの月いっぱいから11月にかけて楽しめますが、もう冬を呼ぶ感じで咲きあがる気がします。

 では、センブリやヤマラッキョウにバトンタッチするまで、我が地の秋を彩っている花達を掲載しましょう。総ては無理ですので、思い入れのある花達を塵埃記に落として、あとの花達は、右上のスライドショーに掲載します。

 センブリを探していまして、「オケラ」の花が盛りで咲いています。昨日見た此花は、「花篭が小さくて、花が溢れているなー」と初めて見る姿となりましたね。
 またその傍で、沢山の「アキノキリンソウ」が今が盛りと秋風に揺れていました。もう葉が紅葉しかけてますね。
 三草山山麓の「セイタカアワダチソウ」です。野や休耕田で群生咲きしているセイタカアワダチソウは、何か違和感を感じますが、山麓で一株、二株咲きを眺めると素敵な花ですよね。

 山麓を離れて、秋を楽しもうと、昨年にアサギマダラの群舞を楽しんだ山寺に参りました。蝶達は見かけませんでしたが、秋の七草の「フジバカマ」を楽しめました。昨年にアサギマダラが取り付いていた草花ですね。小生がサワヒヨドリと間違えていたようです。フジバカマの自生を見たことがなかったからですね。近くの野池に行き、本年の「サワヒヨドリ」と見比べてきました。葉がまったく違いますね。昨年のブログ記事を、正しく直さなければなりませんね。

 農道や畦道では、色んな「野菊」がいたるところで楽しめますが、小生は分類できないのですよ。畦道では、ミゾソバ、キツネノマゴ、アキノウナギツカミ、センダングサ系の花達など色々とまだまだ楽しむことが出来ますが、「アカマンマ(犬蓼)」が一番咲き乱れてます。そんな野で、畦道の最終章の「フユノハナワラビ」が、もう咲きあがってきていましたね。

 また実りの秋の楽しみとして、林道や里山をぬける山道では、真っ赤な実が目に飛び込んできますね。サルトリイバラやノイバラと言った赤い実や、樹木の赤い実も楽しめる季節になりました。そんな中で、小生が「ワオッ」と声がでた、「ビナンカズラの実」ですね。デジカメで色々遊ばせてくれましたね。

 野池風情では、セイタカアワダチソウが咲き乱れる大きな池では、もう「鴨」がやってきていました。
オマケに、「自然の仲間」です。もう秋の色模様で、野を演出してくれていますね。

 そんなこんなで、ごく身近な秋と言う季節風に吹かれています。里山辺りをぐるぐるまわっていて、いつも思いますね。人の手の入らなくなったところは、荒れ果てて行きますね。里山や林道や野は、人間との共存で美しく保たれるのだろうなーとですね。荒れ果てたところには、いくら探しても可愛い小花達を見つけることができませんね。上記のセンブリも、散策道の真ん中に咲いていましたね。ブッシュを掻き分けても咲いてはいない気がしますね。
 
 「都会で悩んでいる若者達よ。里山を目指せ、金に踊らされるな、自然を友とせよ。」・・大昔から人々は、自然の恵みで生き抜いてきているのですからね、「破壊より共存」と短く戯言を落として、塵埃記を閉じましょう。
 もう一言、「健康で元気に汗することの爽やかさは、大金をはたいても買えませんよ。」と・・・

 

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